昨日、出すつもりだったブログを出し忘れていた

本日も建設的なメッセージをいただいたので、それに対する私の考えを述べさせてもらう

「私の考える東大の国際競争力向上策は、入試での英語力の重視です。
例えば、センター試験でリスニングのウエイトは200点換算でわずか40点ですがこれを100点に引き上げる、さらに二次試験で、理系志望者は、理科または数学の受験科目のうちどれか1つを英文による出題・解答にする、文系志望者は社会科または数学のうち日本史をのぞく選択科目1つを英文にする、という策です。1次2次合わせた全試験での英語力のウエイトが少し高まります。そうすると小学校でならう理科社会算数等の基礎的な用語も中高生で英語で学ぶ必要があり、中学英語の語彙高校英語の語彙も変わらざるおえなくなります。全大学が適用するのは反対ですが、少なくとも東大生と東大の教員は、さらに英語運用力がアップするのは確実と思います。日本の大学は東大が何か制度を変更すれば、良くも悪くも全国立大学が右へならえのごとく一斉に足並み揃える傾向が顕著で、多様性を容認するアメリカは9月入学7月卒業の人ばかりでなく、例えばコロンビア大学の募集要項で、入学時期を年4回設けていると見たことがあります。なので、国立大学の半数が9月入学、残り半数が従来の4月入学と分散することが、多様な社会を形成することに寄与すると思います。」
(引用終わり)

私は自分自身がリスニングが苦手だが、それなりに英文の論文を書いているし、受験英語は役に立ったと思っている

留学すると痛感することだが、しゃべる、聞くだけできて、読み書きができない人間はかなりばかにされる

日本人は英語のコンプレックスが強いが、むしろ母国語でエリート教育ができるのが、先進国の条件と言っていい

アラビア語は国連公用語になっているので、アラブ系の国の人は、国連で堂々とアラビア語で演説をしている

そういう意味で、わざわざ日本が植民地(占領はされても、そんなものになったことはないが)に戻るような必要はないというのが私の考えだ

受験時期を増やすというアイディアは確かに興味があるし、建設的な意見でもある

常々、問題になることだが、この手のエリート校の受験というのは、地頭のいい人間を採るためなのか、それとも、あるピンポイントの時期に合わせて、それを突破する能力なのかというのがある

私は、意外に、受験の時期に合わせて能力を高めていくという本番主義が日本人の締め切り意識に影響しているのではないかと思っている

昔、アメリカは新車や新製品の開発の時期がよく遅れた

今でもウィンドウズなどでそういうことが起こる

日本人は4年に一度、かならず合格点レベルの新製品、新車を出していた

学力が高ければしめきりは関係ないというのか、締め切りの時間までにしっかり学力をつけてくるようにというのかで、国民性まで変わってしまうような気がする

そういう点でも、制度の改革は慎重にこしたことはない
というのは、地頭のいい人間を採るためなのか、それとも、あるピンポイントの時期に合わせて、それを突破する能力なのかというのがある

私は、意外に、受験の時期に合わせて能力を高めていくという本番主義が日本人の締め切り意識に影響しているのではないかと思っている

昔、アメリカは新車や新製品の開発の時期がよく遅れた

今でもウィンドウズなどでそういうことが起こる

日本人は4年に一度、かならず合格点レベルの新製品、新車を出していた

学力が高ければしめきりは関係ないというのか、締め切りの時間までにしっかり学力をつけてくるようにというのかで、国民性まで変わってしまうような気がする

そういう点でも、制度の改革は慎重にこしたことはない