相変わらず、私の教師に望むことには、高度すぎるなどの批判がある

ただ、私が何人か(意外にけっこうな数になる)の教師に会う限りでは、そこまで難しい話とは思えない

彼らは個々の人間としては、それなりにレベルが高いし、子どもたちもなんとかしなくてはいけないと思っている

ただ、全体としてとか、勝手なことをすることに対するサポートの雰囲気とかの問題でできない限界点が多いような気がする

民間人校長を推し進める藤原和博さんの思い入れもそこにあって、トップが変われば、下はインテリの集団なので、意外に変わることは、実感しているようだ

むしろ、教師に対して、余計な要求とか圧力が強いのではないかと思うことはある

もちろん、生徒を誘惑するとか、児童買春のようなことが許されるわけではないし、法律に触れるレベルの性犯罪は許されるわけでない

でも、昔、酒鬼薔薇の事件の際に校長がストリップに行った程度でマスコミの餌食にされたり、教師間のちょっとした不倫をスキャンダルにするというとこまで、「聖職」扱いにすべきなのかとときどき思う

聖人君子であることより、教育能力で素直に評価すべきなのではないかと感じるのだ

塾の場合は、そのあたりがはっきりしている。子どもの学力さえ上げれば親の支持を失わないようだ

脱税、経営者の麻薬、あげくには生徒に売春あっせんをしていたような塾が東京では名門塾として堂々と残っている

私にはそんな勇気はないが、そこまで生徒や保護者の支持をえるくらい、学力を上げることで定評のある教育産業にしたいというのは、私の夢だ

同じように、宮根さんとかいうテレビのキャスターの隠し子騒動が話題になっている

記事を読む限り、今の奥さんと結婚した後に、それまでつきあっていた別の彼女とセックスをして、その女性が子どもを産んだという話のようだ

不倫と言えば不倫だし、二股のまま結婚したと言えばそういう関係でもある

でも、今回の隠し子騒動を見る限り、不倫より、隠し子が問題のように読み取れる

避妊をしなかったことや子どもを産ませたことが無責任のように言われるが、不倫はともかくとして、そっちが大きな問題かというと、私がいい加減なのかもしれないが、そんな気がしないのだ

それ以上に、キャスターという職業がそこまで、聖職なのかと思ってしまう

最近、前頭葉の老化とか、更年期のホルモンの話を勉強するようになって、この年代の中高年が、実際の不倫になるかは別として、もっと遊ぶべきだし、もっと恋をすべきと思うようになったせいか、人間が80年以上生きるようになった今、多少、この手の「聖職」について、意識変革が必要なのではないかとどうしても思ってしまうのだが、医者という職業も聖職と思われると同時に、スケベが多いと言われているから、やはり言い訳がましいのだろうか?