MSNのニュースページで、日本ではボクシングの世界チャンピオンの高学歴化が進んでいるという記事が出ていた

8人中5人が大学に入学している(一人は中退)経験者だということだ

少なくとも、昔と比べて、ハングリー=強いという簡単な図式が崩れているのだろう

今の格差社会の問題は、貧しい人間が。ぎゃくにあきらめてしまって、ハングリー精神をもてない、這い上がり願望をもてない、あるいはそういう人間が少数になってしまっているということがあるのだろう

小学校に入っても、中流以上の人間は塾通い、中学受験と、競争にさらされるが、貧しい層に待っているのはゆとり教育とゲームや携帯に親が子どもを預けてしまう現実だ

公立学校のほうは、運動会で順位をつけず、学芸会で主役を決めないという形で、子どもにろくに競争をさせないし、悪口をちょっと言っただけで、いじめ扱いされるから、子どもが、負けん気をもつ悔しい思いもあまりしないのかもしれない

もちろん、ボクシングの世界チャンピオンの面々をみても、中学受験などで、厳しい競争を経験したことが負けん気の強さにつながったかどうかは疑問だ

おそらくそうでないレベルの大学に進学している

むしろ、高卒、中卒が昔ほどハングリーでもないし、子どものころに悔しい思いをしていないので、根性より、センスや体力などの要素だけでの競争になっていて、結果的に大卒が多いということだけなのかもしれない

駅伝をみていても、大学にいく層だから根性がないとはとても言えない気はする

ところで、駅伝を見ていたら、娘から面白い話をきいた

学生のころから陸上しかやっていなかった人(箱根駅伝で区間賞をとったくらいのアスリートだそうだ)が、駅伝を引退してから猛勉強して、今は法科大学院の未習コースに入ったということだ

あくまでも私の仮説だが、スポーツのできる人は、大脳皮質の発達がいいから、勉強もやればできるはずだ(勉強だけできて、スポーツのできない人間は、大脳皮質の発達がよくても、体がそれについていかないから、スポーツの勝者にはなれないと私は考えている。スポーツの勝者は大脳皮質も、体も両立しているから勝ちぬけるのだろう。体だけではスポーツは勝てないはずだ)

ただ、あまりに小さいころからスポーツ漬けだと基礎学力がなさすぎて、勉強のやり直しがきかない

その人が陸上を本格的にやり始めたのが、中学なのか高校なのかはわからないが、とりあえず基礎学力がしっかりしていたから、すぐに勉強の道に戻れたのだろう

大学スポーツというのは、スポーツ推薦で大学に入り、スポーツの実績で就職するより、この手の人がもっとでてきてほしいとふと思った

そして、その人が司法の世界で活躍するのを期待したい

ところで、司法修習生は今は無給だそうだ。ロースクールも出ていないと、事実上、受験できない

貧乏人を弁護士にしたくないという政府のやり方に、誰も講義しないが、やはり10年くらいたって、ソシアルの時代が仮にきても、司法の世界が金持ちの味方で、政治を変える法律などを作っても、違憲判決をばしばしと出されるのだろうか?