『赤本の使い方』が評判がいい

これは、これで嬉しいことなのだが、逆に勉強法が当たり前すぎて、『受験は要領』と矛盾があるという批判も受ける

何度も書いたが、勉強法の本というのは、本人にどれだけの影響や結果を残したかがすべてと思う

読者のほうも勝手なもので、それを読んで、あるいはそのやり方を試して受かった人は、ずっと私に感謝してくれる

しかし、結果が悪かった人は、私のやり方をぼろくそに言ったり、被害者とか名乗る人が多い

その中で、一つ、発見したことがある

どんなにいいやり方でも、このやり方では、自分には無理と思われるようなら、やはり結果が出ないということだ

たとえば、数学は、暗記だけでなく、理解も、計算力も必要という本当のことを書くと、それまでの授業が理解できなかった人や、子どものころからの計算練習が足りない人は、最初から、その勉強法の本を手にとってくれないし、数学の勉強を始めてくれない

ところが、数学は丸暗記でOKと書いておくと、これなら自分にもできるという話になって、かなりの数の人間が数学を始めてくれる。もちろん、うまくいく人(こういう人は、問題の解答がきちんろ理解できている人だ)もいるし、うまくいかない人もいる

うまくいかない人は、私の批判者になるわけだが、うまくいく人が多いので、『受験は要領』は売れ続けるし、批判も多いが称賛も多い本になっている

うまくいかない人がいるなら書くなというかもしれないが、うまくいかないという人でも、もとより成績が下がる人はほとんどいないようだ

で、いろいろな本を出すと、一体、何が和田式なんだと問われることが多い

私は実は下記の3点がエッセンスだと思っている

1.受験という締め切りの日までに、志望校の合格最低点を合計点でクリアできる学力を身につけること――要するに偏差値を上げたり、苦手科目を克服することでなく、合計点で、自分の行きたい学校の合格者の最低点がクリアできればいい。得意科目で思い切り点をとって苦手科目の負担を減らしてもいい。また偏差値が70の学校を受ける際も、偏差値を70まで上げなくても、その学校の合格者の最低点がクリアできればいい――これは、『赤本の使い方』の基本コンセプトでもある

2.単位時間当たりの勉強量を増やすこと――数学ができないうちは、その解法を身につけるのにいちいち解いていたら時間がいくらあっても足りない。だから答えをみて覚えろというように、とにかくどんなやり方をすれば単位時間当たりの勉強量が増えるかと考えることだ。数学は暗記だというのは、その方法論のワンオヴゼムにすぎない。勉強はやった時間より、やった量で勝負が決まるものだ

3.受験の締め切りの日までに、なるべく多くの量を頭に残すこと――勉強はやった時間よりやった量だと書いたが、量をたくさんやっても、復讐不足のために頭に残っていないと意味がないのも受験の基本だ。だから、週に1度確実に復習日を設けるという風に、頭に残す工夫を考えないといけない

確かにシンプルな話だし、当たり前のことだ

でも、その当たり前ができていないから合格できない人が多い

もし受験生や高校生の方が読んでいるなら、批判する前に原点に立ち返って、この3点をクリアしているか考えながら、受験勉強を続けてほしい