昨夜は、メディアカンファレンスの講師に呼ばれる

自殺の専門家である精神科の医師たちが、マスコミの有志の人たちに、きちんとした精神医学の知識を伝え、また情報交換をする勉強会だ。

私のようなものがなぜ選ばれたのかわからないが、『テレビの大罪』の中で、とくにテレビマスコミが人間の認知を不適応なものにして、それがいかにメンタルヘルスに悪いのかを中心に話をさせていただく。

出てくる面々は、基本的に、良心派ということもあって、それなりに素直に受け入れてもらって嬉しい

さて、一昨日の会津のエンジン06で、「癒しのちから」というセッションをやった話をしたが、私には非常に印象的なことがあった

講座の中で話されたことだから書いていいとは思うが、一応、講師の名前はあえて書かないことにしたい

新型うつ、DSMでいうところの適応障害についての質問がフロアからでたことが契機だったと思う

適応障害とか、新型うつと呼ばれるものは、職場では鬱的で、意欲もでないし、非常に苦痛だったり、つまらなく感じるが、家に帰ると比較的けろっとしているような心の病だ

実は、その講師の先生はその逆だったという

一日中、ものすごく苦しくて、死ぬことばかり考えるレベルの鬱だったのだが、開き直ってというか、会社に行く時は別人に変身したと思いこむことで、本当に誰にもばれない程度で、仕事を続けていたという

そういう苦しい時期を乗り越えたから、元気そうにふるまっていて、実は限界というような人を見抜く能力があるそうだ。「ちょっと話がしたいから会ってくれない」とその人を呼びつける。その人と話をしているうちに少しその人を楽にしていく。

後で聞くと、ベランダから飛び降りようと思ったのに、どうしてわかったのかという風に述懐したという

一方では、職場でだけうつの新型うつがある半面、日本では、まじめすぎる人たちが、職場だけうつでない、少なくともそうふるまえてしまう人がいる

まさに逆適応障害である

新型鬱が注目される中、いまでも、私は日本にそういう人がたくさんいると思っている
そして、気がつかれないうちにそのような過剰適応ができなくなって、ポキっと折れてしまう

職場でしっかりやれているからと言って、その人の心が健康とは限らないのだ

その講師の先生は、医者に頼らなかったそうだが、頼ってくれれば、もう少し楽にできた自信はある

ただ、五木寛之先生も書いているように、鬱というのは、そのときはものすごく苦しいが、克服すると人間を成長させる病気ではある

そのときに、医者に頼ったからと言って、自力で治した人と比べて、成長の度合いが弱いわけではないだろう

素直に人に頼り、自分を支えてもらった体験は、社会や人間に対する信頼感を確実に高めてくれるからだ

ただ、逆適応障害は、ものすごく気づかれにくいものではある

弱い自分を見せる相手がいることが、実はメンタルヘルスに、ものすごく重要な意味をもつのだろうなとふと考えた

ついでにいうと、その講師の方は、太平洋戦争のときに家が丸焼けになって、ひどいトラウマを受け、しばらく、PTSDの症状があったそうだ

でも、歳を召しても、元気で、自信たっぷりで、しかも優しいその方をみていると、心の病は、悪いことだけでなく、人間を成長させるものだと痛感した