昨日は、一日中、取材の連続

自宅のオフィスの1階を取材ルームにしているのだが、やはり50を過ぎると体力が落ちる

話しているだけでヘトヘトに疲れてしまう

その中で、力が入っているものに、現在の日本の経営者の批判本がある

ただ、その本を作っているうちに、昔の、といっても戦後から高度成長期にかけての日本の経営者たちは偉かったのではないかというように思うようになった

日本の高度成長期が、経営者より、どちらかというと優秀な労働者によってなしとげられたという感覚を持っている人は少なくないし、私自身もそう感じていた

画期的な発明がないのに、製品のクオリティの高さや故障の少なさなどで信用を勝ち得ていき、メイドインジャパンの製品は世界最強になった

私がアメリカに留学したのは91年から94年であるが、この時代は、日本製品は安くしなくても売れた。自動車などは、故障が少ないことで、中古にしても高く売れる(私も2年半乗った17000ドルで買ったアコードが12500ドルで売れた)ので、同格のアメリカの車より高くても売れたし、家電品に関しては、2,3年型落ちのものでもどんどん売れるので、別に新製品を安くする必要がなかった。

国際競争力が価格競争力でなかったのだ。

ビデオカメラなどは日本で25万円くらいで出ると、アメリカでは誰も買わないし、多くのアメリカの中産階級でも買えない。でも、日本でそれがバカ売れして、2年くらいたって10万円くらいで売れるようになると、アメリカでもバカ売れする

要するに日本人がリッチだから、そこで大量生産が可能になってからで十分国際競争力があった

日本の経営者が偉いと思うのは、日本人の中流階級をリッチにして、自国のマーケットを作り、そこであぶれたものを輸出できるから、為替などであわてる必要もない経済を作ったことだ

それによって、日本は発展途上国型の加工貿易国を脱却し、外国もうらやむ巨大消費国になった

どうして、日本は巨大消費国になれたのか

一つは、やはり労働分配率の高さだろう

今の韓国や中国のように大企業がどんどん大きくなっても、経営者だけが大金持ちになることなく、一般労働者の給与水準を当時の日本の経営者はどんどん高めていった

サラリーマン社長が多かったこともあるが、30年前の一部上場企業の社長の平均年収は1600万円だったそうだ

二つ目はボーナスのシステムだろう

これによって値の張るものを夏と冬にどんと買える

三つ目は終身雇用と年功序列のシステムだ

歳をとるほど給料が増えていくし、首の心配もなく、最後にどんど退職金がもらえるなら、若いうちに安心してお金が使える

昔の経営者たちは消費者の視点で、どういう金の渡し方をすると金を使ってくれるかをよほど考えたのではないか

今のアホ経営者たちは、それを全部つぶして、自分たちの収入を増やす一方で、空前の消費不況を招いている

労働分配率をあげても、消費は戻らないだろう

それは安心して金が使えないからだ

「若いうちに安い給料でがまんしてくれたら、歳をとってから楽をさせてやる」
という約束を一方的に破ったのは経営者たちだ

相互信頼を回復しない限り不安で金なんか使えない

この信頼が回復されるのはいつの日なのだろうか?

そして日本の経営者たちは、お金をもたされ、最高税率は大幅に下がったのに、金を使ってくれない

預金通帳の0が増えることが快楽となった預金依存症患者の集まりだからなのだろう