昨日は大学の講義のあと、森田療法の研修会に出席する

私自身が習いごとについてオタクなところがあるし、実際、森田療法がきわめて実践的な心の治療法だと思っている上、ケースレポートやそれに対する先生のコメントが、本当に私の治療だけでなく、ものの考え方や自分自身の生き方にヒントになる

さて、今回は学会の予演会ということもあって、いくつもの森田療法の基本概念についてのディスカッションがあったが、この会のいいところは、終わってから講師の先生と飲みながら、考えをぶつけあうことができる点だ

今回のテーマは不問である

森田療法の基本的な考え方の一つに、細かいことばかり悩んでしまって、本当に悩むべきことに悩むことができなくなっている人に、悩むべきことを悩むほうに仕向けていくということがある

たとえば顔が赤いことに悩んでいる人は、そればかりに気持ちがいく。そして、顔が赤いのが治れば、人間関係そのほかを含めて、すべてうまくいくと思ってしまう。それに対して、あなたが本来悩むべきは人間関係がうまくいかないほうなのだから、どうすれば人間関係がうまくいくのかに悩むほうが本質的だし、解決につながるというような風に話をもっていく

そのための技法として、いくら顔が赤いことについての悩みを言ってきても、それをとりあげないというのが不問技法と言われる。顔が赤くて辛いんですと言われても、治るもんじゃないんだから、そんなこと考えても仕方ないでしょというような対応だ。ただ、症状については不問だが、症状に対する態度については、不問にはしない。それについてじたばたしすぎるとか、悩みすぎることは問題にするし、そのせいで、たとえば人間関係をよくするための本を読む時間も、心の余裕もないのは問題にする

今回の飲み会のテーマは愛のある不問ということだ

症状を訴える人を冷たく突き放すのでは、患者の心が折れてしまうこともある

その細かいことに悩む気持ちはわかるけど、それじゃあなたのためにならないということを愛をもって何回も話を聞くうちに、なんとなくばかばかしいことに悩んでいることに気づいてもらうということだ

その愛がないと、たぶん、「先生は私のためを思って悩むのはばかばかしいと言ってくれているんじゃない」ということに気づけないし、治療が単なるルーティンになる

愛をもって、それをずっと続けていても、何十回もかかることが多い。平気で2年3年のときが流れるのだが、悩むべきことに悩めるようになると患者さんは病気を克服するだけでなく、人間的に大きく成長するし、現実面でも強くなる

病気を治すというより病気になるまえより健全な人間にしていくというところが森田の治療のいいところだ

で、ここで認知行動療法(CBT)という最近注目されている、森田のライバル(向こうがずっと勝っているだろうが)というような位置づけでもある

確かに行動を変えることで心を変える、認知を変えることで心を変えるというのは妥当な考え方だ

ただ、この治療を受けたいと思ってくる患者さんにとってみたら、医者のいうことを素直に信じられるだろうし、そのやり方にしたがって治っていくだろうが、それが受け入れられないことには認知も行動も変わっていかない

私の心の師である土居健郎先生も指摘するように、患者さんというのは素直になれない、素直に甘えられないという病理を抱えていることが多い

素直になってくれれば精神科医としてこれほど楽なことはない

コフートが理想化転移を重視したのも、患者が治療者を理想化してくれれば、素直に依存してくれるからだろう。そのほうが明らかに治りがいい

そこで愛が大切なのだと、本日の講師の先生は言った

まったくその通りだと思う

さらにその先生は、実は、森田というのはセックスについてほとんど語っていない(恋愛の心理というまじめな本は書いているが)という。そして、それが森田の精神療法家として浅いところなのではと珍しく批判された。たぶん、森田は、あるがままになれとかいうが、本質的にはものすごく道徳的な人だ。

精神分析の世界では、患者さんが治療者にセックスをしたくなる気持ちについて、ものすごい議論がある。

それを受け入れるのはもちろん倫理違反だが、そのくらい好きになる感情が患者さんをよくするのは事実だろうし、ものすごい深いトラウマを抱えた患者さんの場合、本当なら受け入れたほうが絶対よくなるだろうなというのは医者の実感としてわかる。そうでない限り、重症のトラウマ患者さんの深い人間不信や人を愛せない病や世の中を楽しいものと思えない病理が、本当の意味でよくならないように思えてならないのだ

もちろん、そんなことをするのは倫理違反であると同時に、体がいくつあっても足りないということもある

でも、アメリカにいるときに聞いたことだが、そのくらいの愛の力で、一生に一度くらい本当に傷ついている人を治してみたいという無意識の願望をもつ医者は多いようだ(実際、アメリカでは、精神分析医の2-3割は患者さんと性的関係をもってしまうという。昔はふざけた話と思っていたが、今は、そういう本気の治療をしたい誘惑も大きいのではないかと思えるようになった)

きれいごとのような話になるが、どんな心の治療でも、愛が大切なことだけは確かだ(と私は信じる)