毎週火曜日は、私が保険診療で高齢者専門の精神科の外来診療を行う日である

私が臨床を全然やっていないと勝手なことを書く人がいるようだが、時間の使い方の下手な人の発想であって、臨床も大学の教員もちゃんとやっている

最近、やたらに患者さんの数が増えて、確かに十分に治療に時間がとれないが、初診の人にはなるべく話を聞くようにするいっぽうで、通い続けているケースの場合、認知症の陽性症状がおちついていたり、薬が効いてきて抑うつ気分や症状のとれた鬱病の患者さんなどには、「具合がよくなると、治療が短くていいね」などと声をかけながら、診療時間にメリハリをつけている

でも、高齢者の場合、鬱というのが、さびしさとか衰えとかによるものと思われがちだが、意外に脳の問題でもある

やはり若いころと比べて神経伝達物質の出が悪いのだろう

実際、大丈夫と思って、ちょっと油断して、本当にわずかな鬱病の薬をやめたら、如実に悪くなったことがある

逆に、愛する夫と死に別れ、一人暮らしになり、パーキンソンのような症状もあって歩行もおぼつかないし、手もふるえるというようなおばあちゃんが、ごはんが食べられなくなったと言って暗い顔で治療にくるのだが、こんな悪条件が重なっていたら治らないだろうと思われても、意外に薬で2週間ほどでよくなって、笑顔も取り戻すし、食べられるようにもなるということは珍しくない

さびしさはある程度慣れることができるのだろう。実際、一人暮らしの高齢者より、家族と同居の高齢者のほうが自殺が多い。さびしさよりむしろ、人様に迷惑をかけているという感覚のほうが、人を鬱にしていくし、死においやるのだろう

しかし、脳の伝達物質不足の状態はつらい

鬱病の人に治ってから話を聞くと、39度の熱を出したときと同じようなだるさが続いて、いつ治るのかわからないと生きていても仕方ないように思えるなどという

その通りなのだろう

そうかと思うと、生きがいや人とのつながりでよくなる人もいる

創価学会の熱烈な信者なのだが、一人暮らしだし80代後半の慢性的な鬱病の患者さんだ

でも、学会系の雑誌のチェックは怠らず、私が灯台とか第三文明とかにでると切り抜きをもってくる

その人が、まったく別人のようになる時期がある

選挙の時だ

急きょ、元気になって、「先生、○○さんをお願いしますよ」などという。私は東京からきていて、その選挙区でないことをお断りするのだが、生きがいができて、学会の仲間ともそういう時期には結束するのだろう

選挙が終わるともとのうつのおばあさんに戻ってしまうのだ

島田 裕巳氏が創価学会は選挙そのものが宗教活動になっているというようなことを言っていたが、本当だと思った

そして、それについて批判が多いが、それで救われる人が本当にいる

本日も、認知症を認めないので、夫婦で検診にきたという形で、二人分のカルテを作ってみたケースがあった

高齢者を診ていると、いろいろと勉強になるし、いろいろな老い方もわかるが、それ以上に柔軟になれることの大切さを学べるのは事実だ