私は、人に威張るのが嫌いな人間で、そのおかげで性格がいいと、身近にいる人とかからは勘違いされている。

人に偉そうにされて気分のいい人はそういないだろう

ただ、私の決定的な欠点は、人に頭を下げるとか(これは比較的OKだと思う)、人に偉そうにされるのが非常に苦手だ

たとえば、私は日本の教育をよくしたいとか、心のケアをよくするために、大学の精神科の教授のうち、せめて1割くらいは心のケアの専門家にしたいと願っている

選挙に出て、政治を変えろとかアドバイスをくれる人がいるが、テレビ好きの有権者に頭を下げる気になかなかなれない

世の中には親切な人がいて、文部科学省の副大臣に口を聞いてくれるという人もいる

その副大臣は改革派で優秀な人だから、動いてくれるはずだとそういう人はいう

私も魅力を感じないわけではない

しかし、何回か会って、高校の後輩だとわかっている人間から見下されたような態度を取られたことがあるので、いくらそのほうが日本の教育や心の医療がよくなることがわかっていても(実際は、そうとは限らないで、その人がこちらのアドバイスを無視するかもしれない)、なんとなく気乗りがしない

どうせ二年後には民主党が負けるから、もう少し性格のいい人が教育政策の担当者になってから動こうとか思ってしまうのだ

私がこのブログとかで、政治批判をしたり、提言をしたりするが、本気で世の中を変えたいのなら、嫌な奴にでも頭を下げるはずだ。それができない私は単なる「外野」なのだろう。

そんな私が、ぺこぺこするのが平気になれることが一つある

今、あるスポンサーに逃げられて、せっかく撮った映画がお金に困っている

私の尊敬する先生が足しになるからと少し出してくれた

妻がへそくりを出してくれて頭がまた上がらなくなった

今、金を出してくれる人には、土下座もするし、靴くらいならなめる

パチンコ屋が金を出すと言えば、おそらく批判はやめる

ヤクザだけはさすがに、今後のことを考えるだろうが、スポンサーは神様だ

逆に、金を出すと言って、払わないスポンサーと名乗る人間は一生恨み続けるだろうし、そのまま出さなければ、私の知る範囲の人間に全部、言いふらすことになるかもしれない

映画はそのくらい人間を変える

頭を下げるのが嫌いだから医者になったのだが、それがこれだけペコペコできるのだから怖い

三枝成彰さんも、それまでは作曲家の先生だったのが、オペラを始めて、金集めに回るようになってから、すごく腰が低くなって、品行方正になった(そうでないとスポンサーに逃げられるからだ)そうだ。

ものすごくわかる

一本でも入る映画を撮って、主義信条を変えるほど頭をさげないで済む日はいつくるのだろう?