本日は、波頭さん主宰の勉強会

ゲストスピーカーが民主党最大のブレーンといわれる山口二郎さん

いつもの茂木健一郎さんや上杉隆さん、そして森本敏さんなどもお見えになっていろいろと議論が盛り上がった

上杉さんから原発にまつわる怖い話もいろいろ聞いた

ただ、あえてここではどこまで書いていいかわからないので書かない

たぶん、上杉さんにいただいた『報道災害【原発編】』(幻冬舎新書)にいろいろ書いてあるのだろう

その話が本当なら、日本が滅ぶ可能性さえある

だったら今を楽しめばいいかと開き直ってしまうのが私の悪いところだ

ただ、それでも済んでしまったことは今さら変えられないし、今動いている原発を止めるのとは別問題だとつい思ってしまう

現実に、原発を止めても使用済みの核燃料棒を始末しないことには地震の際の被害は変わらないという話も聞いている(何が本当かわからないのが原発問題の最大の問題点で、ある開き直りがないとやっていられない。私は知り合いの放射線科の医者そのほかの話から、放射性のセシウムについては怖くないと思っているが)

ただ、原発を止めて、電力が足りない、節電要求が出るということは企業の国際競争力を弱めたり、彼らが海外に逃げていく理由にされるということは確かにあるだろう

90年代後半に、日本は、多少の犠牲が出ても、国際競争力を守るために、アメリカ型のクビにしやすい会社にしようとか、もっと競争原理を導入しようという話になった

結果的に、多くの会社は「改革」し、雇用不安や経済的理由で自殺する人間は急増し、それ以前より年間1万人も自殺が多い状態が13年続いている。

国際競争力のために毎年1万人も自殺が増えても平気な国なのに、地震が起こったら危険かもしれないから、原発の稼働を許さないというのは、福島でさえ、1万人死ぬことはないだろうから、どういうことなのかと思ってしまう

リストラで自殺するような日本人はクズだから1万人ぐらい犠牲になっていいが、一般市民や金持ちが犠牲になる可能性が少しでもあるから原発はいけないということなのだろうか?

自殺は自己責任だが、原発は一方的な被害者ということなのだろうか?

自殺だって9割は自己責任ではなく、心の病に陥った結果なのだろうし、自殺を自己責任とみなして放置している限りは減らないという話もある

いずれにせよ、ある場面では国際競争力の維持のために相当の死者が出ても当然だと受け入れ、別の側面では、明らかに国際競争力が落ちるのに、確率論的に犠牲が出る可能性もあるから、それは許さないというダブルスタンダードが精神科医の立場からは納得がいかない

これは原発がいかに怖いかという話を聞いてきたばかりの今でも変わらない考え方だ

私は東京湾に原発を作れというような、エアコン好きで、地方にだけ犠牲を強いるのが嫌な変な人間だからかもしれないが