多少、昨日のブログのあと、はげましのメッセージがきて元気になったが、相変わらず、不快な奴のメッセージもある

基本的に私は口のきき方を知らない奴のメッセージを信用しない

もしその方が本当のことを親切で伝えて下さるにしても、こちらのほうが読んでいるうちに感情的になるから書いてある内容の逆を信じたくなってしまうからだ

人間が感情の生き物であることがわからない人間には精神科医は務まらないと私は信じているし、私自身感情に振り回されるできの悪い人間だか、その代わり人の気持ちがわかるので、少なくとも臨床実績では自慢できると思う

たまたま森田療法の講義を本日していたのだが、森田療法をやる医者というのは、その多くが生き方まで森田療法的になるという森田療法の実践者のためか、人当たりがいいし、下らないことにこだわらず相手のいい点を探せる人が多い

だからそういう先生に教えてもらう医者や臨床心理士も、同じように育っていく

それと比べて日本の精神分析の医者は(私はアメリカまでいってスーパーヴィジョンを受けているので、アメリカの精神分析家はそうでないことがよくわかるが)、排他的で理論的な人が多いし、自分の教えている相手の自己愛をぼろぼろにしてしまう

だから、ろくな治療者が育たないのだろう

森田で治った人はみんな元気に自己主張をして、逆に元患者が、新しい患者を治すという伝統がある

生活の発見会などがその例だ

実は、私は自分の患者以外で分析でよくなったという人に出会ったことがない

たまたま森田の学会で、分析の偉い先生(と私は思っていた。都内の有名な研究所の元署長さんである)に会った

分析の排他性に耐えられなくなったという話だが、治療者自身が自分の悪い性格を治せないような治療法をどうやって信じていいのだろう

そのくらい森田の医者は性格がいい人が多いし、分析の医者は、例外はいるが嫌な奴が多い

外国はそうでないと信じている

実際、精神分析のまともな雑誌や年鑑に論文が載っている日本の精神分析医は私の知る限り5人くらいしかいない(私もその一人だ)。同量の岡野憲一郎氏を含めて、そういう人は例外なく性格がいい

しかし、私は日本で5人しかいない、また自己心理学の世界では一人しかいない、英文の精神分析の論文をもつ人間なのに、分析学会で50をすぎても座長の声がかからない

自分のひがみっぽさが治せない人間が、パーソナリティ障害を分析で治せると主張するのが、不思議で仕方がない

森田の先生方はもともと性格がいいから森田を選んだのか、森田療法をやっているうちに性格がよくなったのか?自分のことを思うと、どうも後者のように思えるのだが。