最高裁が、橋下大阪府知事が人殺し少年の弁護団に懲戒請求をしようとテレビで呼びかけたことへの損害賠償の裁判で、一審、二審を破棄して、橋下氏の逆転勝訴が確定したらしい。

私自身は、この山口の人殺し少年については絶対に許せないし、この悪ガキの死刑判決は当然だと思うが、一応、どんな大悪人でも弁護を受ける権利があるのが法治国家だと思っている。通常のコメンテーターが、この弁護士が許せないと発言するのでさえどうかと思うが、きちんと資格をもった弁護士でもある橋下氏がこんな発言をテレビで公言できることは相当異常なことだと思うし、一審、二審の判決はそれなりに妥当だったのだろうと思う。

ただ、現職の知事でもあるし、今後の日本を支えるかもしれない重要な政治家を最高裁としては悪いと認めるわけにもいかない、現実的な「配慮」があったのかもしれない。

これだけ現実的な配慮ができる最高裁が、国が大赤字の中、当時の法律でも解釈の分かれる脱税行為には、武富士の経営者一族に何千億も払わないといけない判決を出すということのほうが私にはよほど許せない

要するに、最高裁というところは、今後の裁判の指針になる判例を出すところだが、都合のいいところでは、政治的な判断をするが、別なときは純粋に法に則る、その基準は金持ちや強いものの味方だということなのだろう。まるで、未開国家のようだ。

汚染牛が騒ぎになっているが、汚染されたわらを食べただけで肉を調べたわけではない

第一、わらにしても汚染、汚染と騒ぐが、この程度の基準値をこえたセシウムが体に悪いかどうかはまったくはっきりしない

それを汚染と騒ぐこと自体が不安をあおるようにしか思えない(危ないかもしれないし、危なくないかもしれないが、一応濃度が高かったと報じるのがニュートラルな姿勢だろう)

放射能=怖いものと考えるかもしれないが、JARC発がん性リスクの一覧表をみても、確かに放射性のヨウ素はグループ1に入っているが、自然の紫外線がグループ2A,コーヒーでさえグループ2Bだというのに、放射性のセシウムは膨大な量の発がん性が疑われる物質の中に入っていないものなのだ。

実際、原発を火力発電に変える動きが進んでいるが、火力発電の排ガスのほうがよほど発がん性が高いかもしれない。とくに自家発電を菅首相は期待しているようだが、古い自家発電装置の排ガスのほうがよほど野放しで危険だ。

放射性物質だけが特別に危ないという考え方は、もう少し相対リスクで考える発想が必要なはずだ。

自分たちが知らずにとっているものや、自動車の排気ガスなどのほうがよほど危ないのに、放射性物質だけを危険視するのは非科学的だろう。私はもちろん放射性のセシウムが危険でないと言いたいわけではない。危険度がどの程度に位置するのかをもっと考えるべきだと言いたいのだ。そのくらい自然の物質の中に、「完全に安全」なものは少ないのだから。

一般の民衆の気持ちとして、東電をとっちめてやりたい気分はよくわかるが、現実問題として、火力発電所の再開や建設、そしてより危険性の少ない火力発電のガス規制、代替エネルギーによる発電装置の切り替えや開発など、東電にやらせないといけないことは多い

避難地域の住民が、4人家族だと月に48万円ももらえているように、そして今後いくらの賠償になるかわからないが、そういうことにばかり東電に金を使わせるのかというのは、電力のユーザーとしては何とかしてほしいというのが本音だし、東電の株主だって、同じことを考えるほうが、妥当だろう

あまりに一面的な、危険と安全の考え方をやめて、ほかとまともな比較をしたり、もう少し未来のことを考えた対処をするのが、為政者や、それに影響を与えるマスコミのあるべき姿なのではないか?

それを考えると、感情論に流された発言を平気でテレビでした橋下氏もかなり問題があるし、それをOKとする最高裁はもっと問題のように思えてならないのだが。

そういえば大阪のマスコミは逆ファッショで、橋下氏の批判をすると次からコメンテーターの仕事がこなくなるということだ。私も大阪の番組から声がかからなくなるかもしれないが、それが大阪のマスコミの体質だと思うと、あまりに悲しい