過払い利息の件で武富士の創業者を債権者が提訴するらしい

武富士一族の法の網をくぐった、通常の感覚なら脱税に対して、1800億円も国に返せという判決を出した最高裁は今回はどう裁くのだろうか?

一審と二審で判決が分かれることがおそらく今回も予想される。つまり、どっちにも取れるということだ。どっちにも取れるような事例で、どっちにつくかは最高裁のセンスや考え方を明らかにしてくれる。

前回の判決では、法の網をくぐったほうが勝ちだから、全国の金持ちも法の網をくぐって(江川の空腹の一日のように)税金をごまかしたら、最高裁としては、法律のほうが国より大切だから、そっちの味方をするというスタンスを堂々と示した。

今回も一審と二審で判決が分かれたら、最高裁としては金持ちのほうの味方をするというスタンスを示してくれるのだろうか?

国民審査が何のためにあるのかを、もっと一般大衆は知ったほうがいい。

どうせ、制度発足以来、一人も罷免された人がいないのだから、最高裁はやり放題だ。

貧困問題についてのメッセージの続きをいただくが、一つだけ確かなことは、統計の数字はともかくとして、日本では、まだまだ想像を絶する貧困が残っているということは事実だ。

今、臨床心理の大学院で教えているが、スーパーヴィジョンをしているケースなどで、今の日本にもこんなことがあるのだと改めて教えられることが少なくない。

貧困をなめてはいけない

統計数字で格差や貧困はろくにないという話になっているが、国民全体の平均所得が下がっていることと、株式の時価総額などで1000億円超えの金持ちがたくさんいることと、金持ちの最高税率が80%から50%に下がっていることは厳然たる事実だ。

貧困層の多くは、きちんと申告もしていないし、カウントもされていないのではないか?

毎日のように義父にレイプされても、義父に収入があり、そこに同居しているからといって、生活保護を受けて別居できないなんてケースも現実にあるのだ。

貧しい人間に同情するのは、数字の現実を見ていないのかもしれない。しかし、数字以上に助けてあげたい現実もある。

法の網をくぐった脱税まがいのことをして、延滞利息だけで200億円も武富士一族に国から払わせる裁判官もいれば、そういうこともあるために、国の財政不足から、義捐金をもらったら生活保護の打ち切りも相次いでいるらしい。

こういうことが不条理と思っても、数字をみたら黙らないといけないのか?

佐藤光源という東北大学の精神科の教授だった男は、心のケアの論文は論文でないと言い放ち、統計処理の数字が命と言ったが、こういう発想が蔓延することのほうが私には怖い。

経済学者が数字を振り回して、実体経済を解き明かせないのも同じことだ。

たまには感情的な議論もしたくなったが、気持ちはわかってもらえるだろうか?