なんとかいう番組から出演依頼のオファーがきたが、なんだか文化人版のスター誕生のようなことをやるそうな

第二のマツコ・デラックスを目指して、私のような二流文化人が自己アピールをして、テレビのレギュラーの座を獲得しようと奮戦する番組だそうだが、私がいかにテレビの作り手になめられているかが身にしみてわかった。

とにかく、日本中がテレビに出ているほうが偉い人と思いこんでいる。

朝日新聞くらいは大丈夫だと思っていたら、子会社が出すAERAという雑誌でも、香山リカらが語るーーーというようなところで、「ら」の扱いを受けていた。

私は香山さんと違って、実名を名乗って、きちんと臨床をしているつもり(少なくとも高齢者の精神医学とかトラウマの治療については)だし、英文の精神分析の論文もいくつかあるし、留学経験もあるが、AERAの編集者にとってみれば、知名度が高い人のほうが上らしい。もちろん、私のほうが香山さんよりレベルの高い精神科医というつもりはないが、「ら」扱いされるほどの悲惨な精神科医なら、取材などしなければいいのに。

今後は取材は受けるつもりはないのでそのつもりで。

このような出演依頼をする人は、私が、それほどテレビに出たい人と思っているのだろうし、私が、『テレビの大罪』(本日も三省堂の本店に行ったが、一冊も売っていなかった)を書いていることも知らないだろう。

実のところ、テレビの取材を受けた限りで、担当者が私の本を読んでいる人にはほとんど会ったことがない。ときどき、雑誌や新聞のインタビューを受けると、すぐにテレビが寄ってくる。

本も読んだことがない人たちが作る、テレビというメディアに、日本の政治が牛耳られている。

これは恐ろしいことだ。

無教養な作り手に、愚民化した視聴者。そして恐ろしいことに、テレビに出ている人ほど選挙に勝つ。

テレビをバカにしていて出ないという風にしていると、食い物屋から政治の世界まで、みんなが二流扱いする。(田舎に行くとそれを痛感する。どんなに本を書いていても、ほとんどの人が私のことを知らない)

これだけの愚民化政策を成功させておきながら、テレビ局の人間(精神だけだが)はなぜ自分の子供たちを塾通いさせて、中学受験をさせるのだろう(そういえば、最近のお受験ママのドラマでも高学歴者は必ず悪者扱いされているのだが)