昨日は、酔った勢いで(と言いながら、かねがねの主張なのだが)、歴史に詳しくない癖に言いたいことを書いてしまったが、私としては、明治時代以前の日本が、野蛮国だったとか、文明以前の粗野な国、あるいは国際常識に反した国という、脱亜入欧的な価値観は持ち合わせていない。

だから、明治以降に伝統になったことを必要以上にありがたいと思わないし、それ以前の伝統にしたがったところで、非国民呼ばわりされる筋合いがないし、むしろ明治以前の日本が国でなかったと言わんばかりの保守論壇の考え方のほうが非国民だと思っている。

天皇陛下の退位の話は、戦争で負けたときから、いろいろと問題になっていたらしい。

もちろん、退位しても上皇になる(この伝統をGHQあたりは断ち切りたかったのかもしれない)のが基本的な伝統なのだろう。逆に院政のようになってよくないという考え方もある。

私の聞いた話が誤解でなければ、天皇陛下というのは、昔は日本の国を厄災から守ってくれる神のような存在だったので、それができなかったときに、やめるという伝統があったらしい。

だから、台風とか飢饉のようなことがあるとさっさと退位している。

それについて、厄災で潔く責任をとる姿に打たれて、人々(時代によっては、どの程度の人が知っていたのかはわからないが)が畏敬の念をもったということのようだ。

国民が災禍を受ければ、辞めて責任を取るというのは、国民の身代わりに不幸になるということで、さすがと思わせる効果があったのだろう。

もちろん、現在の陛下は人間宣言を昭和天皇がされて、その後を受けているのだから、「私の力不足で、こんな災禍が起こってしまった」というわけにいかないだろうが、この手の態度は、国民の心を引き締める効果は高いだろうし、国民だって、いい加減なことができないと思って、しっかりした責任感をもつということになるのだろう。

GHQの思惑で、この伝家の宝刀が使えなくなった(実は、明治時代からそうなっていたが)のは、大きな影響があるのではないかという気がする。

無責任な役人が多いのも、政治家が多いのも、戦争で負けた後、戦犯という形以外の高級軍人がろくに腹を切ったり、責任をとったりしなかったことと、陛下が退位させてもらえなかったことが大きいように思えてならないのだ。

このことについては、似たようなご意見をもった元士官の祖父をもたれる読者の方からメッセージをいただいて、なんとなくほっとしている。

歴史解釈のほうはいろいろとご意見があるだろうが、それを闘わせる気がないことをご理解いただきたい。

ただ、陛下がどういうときに退位していたかについては、私の知識不足があると思うので、誤認があれば教えてほしい。

誤解のないように言っておきたいが、私はいろいろな考え方があっていいという論者で、私の言うことが正しいと押し付けるつもりは毛頭ない。

ただ、震災後、とくに日本の国内の斉一化圧力が強まっているので、ほかの考え方も好きに話せるほうがいいと感じているだけだ。

本日は疲れているので内容がつまらなくてスミマセン。