昨日も少しふれたが、本日はいわきの原子炉のメンテナンスの会社の心のケアのボランティアに行ってきた。

大学院の博士課程の学生を二人連れて、抑うつとストレスの尺度を計った上での面接を行うのだが、かなりのストレスを受けている人はいたが、現時点で大きな問題や心の病を抱える人はいなくてほっとした。

むしろ、話を聞いて感動することが多かった。

ローンで建てた家が津波でつぶされ、これからそれを返すためにも働き続けないといけないという人もいた。

妻子を抱えて、その妻子は東京に避難しているが、子供が小さいので、どんなことがあってもお金を得ないといけない。東京では仕事がないのでここを続けるしかないという人もいる。

確かに線量計の上での被ばくは少ないが、自分の踏みしめている地面がどれだけ汚染されているかわからないし、また完全防護の服をきるとかえって、そんなにひどいのかという不安な気分になるとのことだ。それでも、このご時世、自分と同じ年代の人間の再就職はほとんど無理なので、続けるしかない、家族のことを思うとそれしかないという悲壮な人もいた。

いっぽうで、大阪にいる家族には止められたが、大学で原子力のことを学んできた以上、それをこういうときに活かすしかないと頑張る人もいた。

年長者の我々はいろいろな経験をしているから、怖くはない。でも、自分たちが動くことで、若いものに怖くはないのだと身をもって示さないといけないという人もいた。

管理職の人で、今の社員たちを確実に食べさせていかないといけないという責任に燃える人もいた。被ばく線量が一定を超えると5年間原発の中では働けないので、その人たちに別の職を与えないといけない。火力発電のメンテナンスの仕事がとれて、彼らに仕事を与えることができてほっとしているという方は、本当は自分も相当なストレスを抱え、休養明けに、社員に仕事を与えるための営業活動をすぐに開始したという。

もちろん、社長も、自分の会社を守ってくれるために(実は地震の直前に福島原発のメンテナンスをよくするための設備投資を数億やって、まったく返ってこないという不運も抱えている)働いてくれている従業員を一人として辞めないで済むように、仕事を求め続けるという。

すべての人たちが男の責任に燃えていた。こういう話を目の当たりに聞いて、口先だけで原発反対とか原発がどれだけ怖いのかわかっているのかという嫌がらせに近いメッセージを送ってくる連中に急に腹が立ってきた。彼らは原発なんかなくても電気は十分足りるというが、本当かどうかこの夏を経験してほしい。

話はそれたが、その従業員のためにその強い責任感のためにうつにならないでほしい。今回は予備調査で、具合が悪くなったらいつでもコンタクトをとってほしいと強調して、その場を去り、社長さんにご馳走になる(ボランティアらしくなくて申し訳ない)。この仕事は継続に意味があると信じている。

いわきのレストランはある程度復活していた。

いわきでしか取れないメヒカリを食べるのだが、これも来年は採らせてもらえないだろうと社長はいう。本当においしい魚なのだが。

ウニもアワビも絶品らしいが、おそらくは敬遠されたり、捕獲禁止になるだろう。

雑談の中で、強制的に避難させられている人でも、電話料金そのほかは、きちんと申し出ないと、基本料金がきちんとチャージされる話も聞いた。

いっぽうで責任感の強い男たちがいて、もういっぽうで思いやりもかけらもない傍観者がいる。

「来てみないとわからない」という言葉はとても重かったが、少しでも傍観者にならないようにしたいと思った。