本日もいろいろなメッセージをいただいた。

いい人でないといけない症候群のような現象が起こっていることや、貧しい人まで寄付を迫られる状況を憂える人もいる。何度も言うが、今回の震災で亡くなった人と行方不明者の人を合わせた数より多い数の自殺が13年連続続いているし、その半数近くが経済的理由と勤労問題だ。貧しさの中で亡くなっていく人が大勢いる中、寄付をしたくてもその余裕がないどころか、自分の食い扶持もないという人がたくさんいる。

本日もっとも気になったメッセージは今回の震災でPTSDを患った人がたくさんいる(実は症状が1か月以上続かないとPTSDと診断しないのでまだ一人も発症していないのだが)が、その治療が難しいというご意見だ。

その人が言うには、PTSDにも薬が必要なのに、それが知られていないこと。二つ目はPTSDのカウンセリングが難しいという認識が少ない。三つ目は支えるべき周囲の人も二次被害に遭っていることが多いということだ。

確かに正鵠を射ているところもあるが、PTSDという自覚があればおそらく本人が医者にいくか、周囲が医者に連れていくだろう。日本の精神科の医者はカウンセリングより、まず薬を使う説得をするだろうから、一つ目の心配は必ずしも当たっていない気がする。もちろん、医者にいかない人は別だが。三つ目はすべての自然災害については似たようなことが起こる。神戸の震災のときもそうだった。むしろ体験を共有するグループ治療が有効だ。

で、二つ目なのだが、確かにPTSDのカウンセリングは難しい。ある程度のトレーニングもいる。ついでにいうと、PTSDなりトラウマの後遺症のほとんどは、薬だけでは治らない。(時が解決してくれることや人間関係の中で解決されることはあるが)カウンセリング的な治療のもっとも必要な心の病なのである。

だが、不幸なことに東北地方の国公立の大学の精神科の医局はすべて生物学的精神医学の学者が主任教授だ。この難しいカウンセリングのトレーニングを受けている精神科医が東北にどれだけいるのかが、ちょっと不安になる。

東北大学の前の精神科の教授の佐藤光源という人間は、徹底的に精神療法を学ぶ人間を排斥した男だ。

私は当初東北大学で学位を取るつもりはなかった(というか、学位をとることそのものに興味がなかった)。ついでにいうと、東北大学で学位をとったせいで、あちこちで東大で学位の取れなかった男扱いされている。

ただ、老年内科の教授がお年寄りは内科的アプローチだけではダメなので、精神科の医者にも手伝ってほしいという言葉に感銘を受けて(東大を含めて、日本中の老人科とか、老年科の教授がそういう認識を持ち合わせていないから、内科学会の認定医がないと老年医学会の認定医がとれないようになっている)、東北大学老年内科の治療を手伝っていたら、実は研究生になっているので、あとは論文を書くだけで学位をくれるから、何でもいいから論文を出せと言われた。

周囲に聞くと3年に一人しか落とされないほど、学位論文を落とさない大学のようだ。

でも、一応、どんな論文で学位を取ったかは後々のキャリアに影響する妥当と思って、高齢者の精神療法の論文を出した。

で、佐藤光源氏に見事に落とされた。

だが、その論文は、日本人で初めて、自己心理学の国際年鑑に収載される論文となった。

精神分析の世界で、国際レベルの雑誌や年鑑に論文が載っている現役の精神科医は日本中で5人もいないはずだ。

そのレベルの論文でも落とすのに、生物学的精神医学の論文なら絶対に落ちない。

それが佐藤光源氏のやり方だ。

もともと、佐藤氏が心のケアを排斥し、生物学的精神医学以外、精神医学でないという高圧的な態度をとっていると東北大学を逃げて、慶応その他の大学に心のケアを学びに来ていた医者から聞いていたから、佐藤氏を主査にすることに私は懸念を表明した。しかし、当時の老年内科の教授は、佐藤氏が「精神科と言うのは薬だけでない。精神療法も大切だ」と言っていたから大丈夫だと私にいった。

結果的に、その年の学位論文で120も出ている中で落とされたのは私のものだけだった。

確かに東北大学を出ても、慶応に精神分析を学びに来ている人もいるし、教授権力と闘う優秀な医者も何人もいることは知っている。

しかし、佐藤氏が権力を握っている以上、それになびく人間もいくらでもいる。

老年内科の教授が信用している粟田主一とかいう精神科の講師がいた。それを副査に指名したのだが、その男も、私の論文をこんなものはどこにも新しい点がないと言いきった(自己心理学の国際年鑑のレフリーはすべて、このような応用を今後考えるべきだというジャッジをくれたが)。

確かにPTSDのカウンセリング治療は難しい。アメリカでだって一定以上のトレーニングを要求する。

これだけ精神療法を排斥してきた医局がある中で、どれだけの精神科医がトレーニングを受けているのだろう。

もちろん、トレーニングを受けていなくても、熱意や独学やあるいは本人のセンスでいい治療をしてくれる精神科の医者もたくさんいると信じているし、東北大学は佐藤氏の前の教授の大熊氏が人格者であった上に、古くは古沢平作氏以来の精神分析の勉強会のグループもあるようだ。

しかし、本来学べるべきものを学べなかったり、学ぶことによって不当な扱いを受けることで、東北地方の精神療法家の育成に大きな悪影響を与えたのは疑いがないと私は考えている。

ただ、佐藤氏には一つだけ確認しておきたいことがある。

返事は返ってこないだろうが、ここに公開質問をしたい。

佐藤光源殿

1.貴殿が東北大学の精神科の主任教授に在任していた1986年から2001年までの15年間において精神療法をテーマにしたものが学位論文として認められたものが一つでも存在するか?

2.同じ1986年から2001年の間に生物学的精神医学の論文が学位論文として審査の対象になった場合に、一つでも落とされたものがあるのか?

佐藤氏でなくても知っている方がいればぜひ教えてほしい。