本日もいろいろなメッセージをいただいた。

いろいろ考えさせられる長文のメッセージもあれば、相変わらず、値上げより停電のほうがましという私を非難するものもある。

もちろん値上げと停電の二者択一の論議に問題があるのかもしれないが、私にはほかの案が思いつかない。

ただ、確かに計画停電では、安定して仕事を続けられないという問題はあるだろう。

私に思いつく案は、やはり東京に企業が集中し過ぎているのを出ていくしかないと思う。

本社を東京におくメリットがどれだけあるのか?

昔は、役所の規制も厳しいし、役所から仕事をもらって食っている会社も多かった。そういう会社は東京に本社をおくしかなかった。逆にいえば、そうでない会社は東京に本社をおく必要はなかった。日本一の製造業のトヨタが愛知県に本社をおける理由はそこにある。

今はIT化が進むし、国をあてにしているような会社はゆくゆく淘汰される。オフィスの家賃も人件費も高い上に、電力の供給もあやふやなら主要企業が東京から逃げていくのは、まともな経営者なら当然の判断だろう。東北と違って、被災地でないのだから、大阪の知事や、よその地方の知事が東京から企業を地元に誘致するのは火事場泥棒とは言われまい。福島に原発を作って東京でのうのうと使うという発想が間違っていたのだ。

計画停電のつらさを味わうためにブレーカーを落とせ(よく見ると、この人間がいまだに、値上げより停電のほうがましというのにしつこくかみついていたのに今気づいた)という提言もあった。

うちだって、暖房もつけず、照明も最小限に落として節電に努めているが、PCにむかって原稿を書くのが仕事なのだから、そうはいかない。停電があるのなら、私は原稿を書き続けるために地方に逃げるだろう。だったら、停電より値上げに賛成しろと言われそうだが、貧しい人、高齢者の犠牲がどう考えても停電のほうが少ないとしか思えない。

さて、出版ビジネスの人は気が早くて、震災の沈んだ心やトラウマからどう立ち直るのかという類の企画をいくつか頼まれている。

たまたま広島出身の編集者が面白いことを言っていた。

その人の一人暮らしの母親(おそらくかなりの高齢だろう)が、震災は大丈夫だったかと聞いて大丈夫と答えると、「騒ぎ過ぎと思うよ。あんな原発の事故で大騒ぎしている人は、一度原爆ドームをみればいい」と被爆地で、実際に黒い雨を経験した人ならではの発言をされたそうだ。

広島は原爆を落とされた当時、75年間、草木も生えないと言われたそうだ。

しかし、その翌年には爆心地でも木が生えてきて、人々は感動したそうだ。

もちろん、現地の人間は、広島で育った野菜をたべ、沿岸の魚を食べ、元気に育っていった。

それを比べ物にならないわずかなベクレル値の野菜が怖いものと思われ、風評被害でそうでないものまで売れない。

神戸の人間もたくましかった。

私の母校の灘校は、被災地の真ん中にあり、もともと嘉納治五郎が創設に参画した経緯があって、卒業生の寄付で立派な柔道場をもっていたが、そこが大量に亡くなった方の霊安所になっていた。

家族を失い、家を失ったショックの子供もたくさんいたが、東大合格者数は震災が1月にあったのに減らさなかった。それからの年もずっと検討し続け、今では、震災以前より医学部の合格者は多いくらいの状態が続いている。

確かに神戸によると思うことだが、昔のような景気のよさはない。

そして、いっぽうでPTSDに苦しむ人もいる。

しかし、多くの人はたくましく生きている。

高齢者や心の病に陥った人は、もちろん手厚いケアが必要だが、いっぽうでたくましく生きていかないといけないのも事実だ。

被災を受けていないくせにと顰蹙を買いそうだが、それでも私は、その人から言われたことは忘れない。

そうでない人はいるにせよ、被災から立ち直る人が大多数なのは事実だし、それが人間を成長させもする。

その広島の復興の証として、戦後30年もかけてやっとカープが優勝できるようになったのに、フリーエージェントだの逆指名だの、田舎いじめ以外の何物でもないことをやって、二度と優勝できないようにした東京のチームと、それにへいこらついていってカープから引き抜きをがんがんやって強くなったと喜んでいる関西のチームがある。

「がんばろう」という掛け声も大切だが、「がんばる」人間を潰す、世襲制度や金にあかした引き抜きを何とかしてほしいというのも、今は禁句なのだろうか?