計画停電のほうが、電気料金を上げて貧乏人が電気を使えないようにすることで電力需要を減らすよりましだと書いたら、「どの面下げてそんなこと言えますか 」とか、「正直、ブログを見て、不快になりました。『まし』と書いていること、よく、人が死んでいる現状で、そのようなことをよく書けるなと思いました。停電エリアに住んでいる方ではないでしょうね。未曾有だから何でもやっていいわけではありません。このままいけば、停電エリアは、完全に、つぶれます。東京だって、例外では、ありません。一日も稼動できない工場があるわけですし、生産活動は、各工場で行われていますし。相当な学歴の持ち主のようですが、実情をなにも理解されず、法的な見解を説くわけでもなく、ただ、「まし」の一言、非常にがっかりです。返信は、いりませんので。」(以上、引用)というようなメッセージをいただいた。

心配しなくても、こんなメッセージに返信をする気はない。

「よく、人が死んでいるような現状でそんなことが言えますね」というが、こういう人は、自信が起こる前から、毎日100人近い人間が自殺で死んでいる(今もそうだ)現状をどう思っているのだろう?

震災で死ぬ人間だけが可哀そうなわけでない。

確かに、私の住むエリアは今のところ計画停電はないが、この夏は、それにかぶるそうだ。電力が足りない以上、みんなで節電するか(これは計算ができないので、やはり計画停電を予期して中止になるという今のパターンと同じことだ)、計画停電にするか、資本主義の原則にたちかえって電力需要が減るくらい強烈な値上げをするしかない。足りるようにできないのなら、どれが「まし」かを考えるのが当然の現実的選択だ。

そして、嫌みのようだが、私の収入レンジであれば、電気料金が5倍になってもどうにか払える。

電力需要を落とすために、電気料金を上げるということが真剣に論議されているようだ。

これはタバコの需要を減らすために、タバコの値段を上げるのとはわけが違う。

タバコの需要が減れば、人の命は伸びるが、電気料金が払えないために冷房がかけられないと年寄りは千人、下手をすると万単位で死ぬ。こういうメッセージをくれた人にこそ、「よく、人が死んでいるような現状でそんなことが言えますね」と言ってやりたい。

確かに、数時間の停電で、冷房がないために死ぬ人が出ないとは言い切れない。しかし、電気料金が上がって、冷房がかけられないという人は、はるかに長い時間電気が使えない。

というのは、暑い盛りであれば、2割や3割電気料金を上げても需要は減らない。タバコを1000円にしろというのと同じ理屈で、倍にも3倍にもしないと払えないから電気を使うのをやめるという人間は出てこない。あるいは基本料金を三万円くらいにすれば、使えない人間が出てくる。(アメリカでも地域によっては電力は公的企業が供給しているらしいが、アメリカの私企業ならこのやり方を採用しているだろう。実際、石油が足りなくなると、原油価格の値上げ以上の値上げを平気でやるのがアメリカだ)

私はそんな社会は絶対いやだ。

金持ちでもそのエリアにかかれば停電になる、お互いさまの計画停電のほうがよほどましだという信念は変わらない。

メッセージの主にとっては、計画停電より値上げのほうがましらしいから、さぞお金持ちで、金があるのに停電になってむかついて仕方がないのだろうが、私は、自分の家が停電になっても、貧乏人が犠牲になるほうがよほど許せない。

もちろん、都心部、とくに遊びの街の(こんなことを書くと、そこの住民からも文句が出そうだが)港区が計画停電から外れることは、私としても許すことはできないが。