先日の税関の方から、メッセージを送ったのは非番であった旨のメッセージをいただいた。

内容も穏当なもので、おそらく知的レベルと正義感のレベルの高い人なのだと拝察した。

私も昨日のブログは相当に感情的になっていたかもしれないと反省はしている。

とくに公務員について一般化したのはいけないと思った。

ただ、ちょっと違和感があって考えさせられたことはある。

私にしても違法なものを輸入したわけでなく、税関にしても、日本の治安(違法なものが入らないようにという意味で)を守るために、証明書が出るまでは留め置くという措置をしたのだろうが、たとえば飲酒検問で、飲酒していない人まで(今はそういう人がほとんどのはずだ)時間を奪われ、検問に協力するのと同じような話である。最近は警察も多少はサービス精神がでてきたのか、この手の検問の時はかなり低姿勢で対応してくれる。

しかし、税関の場合、職員にへそを曲げられると、こちらに罪がなくても、受け取りをよけいに遅らされる(少なくとも、受け取りに来る側はそう感じる)。私は医者だが、薬を待っている患者さんがいると思うから彼らにかなりペコペコして、引き取りに行く。一刻も早く薬を届けたいからだ。彼らはそういう医者の熱意をどう思っているのだろうか?そして、おそらくは、国民から、「いつまでぐずぐず待たせるんだ」と怒鳴られたことはないだろう。

我々医者であっても、ほかの患者さんが長引くなど正当な理由があって患者さんを待たせることがほとんどだ。それでも、待たせた患者さんには「お待たせしました」とお詫びしてから診察する。

おそらく、私がこのメッセージの主を不快に思ったのは、私が待たされたと書いているのに、それについて「事情を拝察してください」などというわびの一言もなく、「なんの根拠があって書いた」「訂正しろ」と上から目線でメッセージをよこしたことが大きい。

今は、市役所の職員でも暴走老人のような人に、ちょっと住民票が出すのが遅いと怒鳴られる。学校の教師などはクレーマーやモンスターペアレントに苦しんでいる。

公務員だからというより、職権に甘えて、命令口調になっていることは、おそらくはこの人のパーソナリティの問題であるより、立場が人間をそうさせる(文句を言われることがないから待たせることに心の痛みを感じない)ように思えたから、公務員という形で一般化したのかもしれない。

実際、昔の警察官や教師は偉そうな人間が多かった。官僚の人も若手のうちは非常に人当たりがいいが、偉くなると偉そうにする人が多かった(今はそうでない気がする)。

さて、本日、今回の東日本大震災の死者が阪神淡路を超えたそうだ。さらに言うと、死者と行方不明で17000人を超えると。

確かに胸が痛む。いくら世界に愛をと言われても、スマトラの地震で10万人亡くなったと言われるより、同胞が17000人亡くなったという話のほうが胸が痛む。私は偏狭なナショナリストだからよけいにそうだ。

しかし、実は毎年その倍近くの数の方が自殺している。

災害の被災者は一方的な被害者で、自殺は自己決定だという反論が聞こえてきそうだが、私にはそうは思えない。

自殺者の半数、つまり今回の震災の被災者くらいの数は、経済的理由や勤務問題、つまり食べられなかったり、リストラされての自殺だそうだ。うつ病で苦しんでいるのに、ろくな治療も受けずに亡くなっている人も1万人以上はいると推定されている。

日本企業が生き残るためとかいう理由でこんな数の死者が出ているが、企業のほうは空前の黒字を出している。リストラをしないと、下請けを切らないと、社員の給料を下げないと会社はつぶれると信じ込まされた労働者はたくさんの犠牲を払っているが、企業のほうは潰れるどころか、空前の黒字決算を続けているのが実情だ。そしてその黒字のかなりの部分が配当という形で金持ちの不労所得になる。その税率はわずか10%だが、これを上げると株価が下がるという理由で据え置かれている。今回多額(10億円)の寄付をなさったユニクロの柳井氏は毎年100億円ほどの配当収入があるそうだが、10億円くらいしか税金を払っていない。

いっぽうで金持ちが税率を下げてもらって以来、生活保護が打ち切られ、貧苦に苦しみながら自殺していく人間がかなりの数でいる。

同じ同胞としてこれは許せないが、金持ちは税率を上げると日本を出ていくと脅す。

今回医療を受けられない被災者の存在も多くの国民の心痛のもとになっている。確かに病気で医療を受けられないのは苦しかろう。ただ、うつ病というのは本当につらい病気のようだ。39度の熱があるときのようなだるさが熱もないのに毎日続く。それなのに、啓蒙と医者の不足のために治療を受けられないで毎年1万人くらいの人が自殺していく。

それでも自殺は自己責任だという人はたくさんいるだろう。

ただ、忘れてほしくないのは、自殺者にも残された親族がいるということだ。

自殺者の身内にはほとんどまともな経済的補償はない。

進学をあきらめたり、学校を中退することもざらにある。

災害の被災者の親族よりトラウマが生じる確率が高い。災害以上に、自分が悪かったせいで、親なり配偶者が死んだのではないかという自責の心理が一生続くことも珍しくない。

だからといって被災者がどうだというつもりはない。

そうではなく、毎年、今回の被災者以上の数がなくなり、アメリカ型の弱肉強食型の経済に移行し、リストラが当たり前になった98年以降、それまでの年より1万人以上増えた自殺者やその残された家族の人たちにも、今回の被災者と同じような温かい気持ちを向けてあげてほしい、せっかく日本人が同胞の死に痛みを感じるようになったのなら、それは、経済の復興(実際は、貧富の差をつけるほうが消費が落ち込むから経済は中国頼りになっているが)の犠牲で亡くなる人たちにも同じような温かい気持ちをもってあげてほしいと言いたいのだ。復興と災害の予防のために10兆円規模のお金を使うのなら、自殺者を減らすためにも、生活保障や精神科医療の充実に少しでもお金を使ってほしいのだ。

全国のニュースが震災の話題でいっぱいになっている毎日でも、被災を受けなかった地区で、毎日80人から90人の方が自殺で亡くなっているという現実も忘れないでほしいのである。