本日は国際医療福祉大学大学院臨床心理専攻の入学試験

実は、前日からやっているのだが、私のほうは京都での臨床心理士の勉強会のために、試験監督をさぼらせてもらった。

また今年も60歳とか65歳の方が受験しているのだが、昨年までと違いのは、昨年までのお二人は両方女性だったのが、今回の60代の方はともに男性だということだ。

そして、驚いたことに英語の試験の得点や心理学の一般試験の問題の得点が若い人たちより高い。

英語に関しては仕事で使っていたということもあるのだろうが、心理学のテストがいい点なので聞いてみると、4ヶ月間(そのときに退職されたそうだ)一生懸命勉強したからという。

記憶力も立派なものだ。

こういう向学心のあるシニアの人を社会はきちんと受け入れてくれるのだろうか?

あまりこの手の人の気勢を落とすようなことは書きたくないが、頭のおかしい一部の(全部とは思いたくない)臨床心理士の資格認定協会のお偉方の中には、年齢を理由に、一次試験で受かっているのに、二次の面接試験で落とすという。ならば、自分もそんな年なのだから資格を返上すればいいのだが、明らかに老害に陥っているし、生涯教育の精神にも反する。こんなのならこの資格が国家試験にならないのも当然だし、文部科学省や厚生労働省の判断は正しい。もちろん、アメリカなら年齢差別禁止法で訴えられる。

さて、昨日のブログで言いたかったことは、基本的人権とは何かということだ。

現在の資本主義では、所有権と自由を最大の基本的人権と思っているように思われる。

自由が認められないと独裁と言ったり、あるいは過度な規制として非難される。

しかし、人々に無尽蔵な自由は当然許されない。

だから、ほとんどすべての国で人を殺す自由は、復讐であっても認められない。復讐の自由を奪う代わりにお上が処罰してくれるというのが近代国家の原則だ。

麻薬を吸うこと、わいせつ物を売ることなどは国によって規制が違うが、通常自由を奪うことと言われない。

ただ、一般的には人の自由を制限するには、言い訳が用意される。他人の権利を侵さない限り自由だと。

人には生きる権利があるから、人を殺すのはその権利を侵すから自由にはさせないということなのだろう。

ということで、人には生きる権利があるというのは、基本的人権の中で、通常はもっとも上位にくるはずだ。

ただ、生きる権利を守るためには金がかかる。警察も消防も防衛も人の命を守るためにある。そのために個人から負担をしてもらって税金がとられる。

ここでは所有権や財産権は侵される。

でも、そのくらい生きる権利は大事なのである。

ところが、今では金持ちや民間企業の自由はなるべく侵さないという話になって、貧乏人の生活保護や子供手当のような手当てはなるべく減らせという話になる。

飢えるやつやまともに生活ができない、医療も受けられないというような人間がいるということは、殺人犯がいるのに税金が足りないから警察を雇わないというのと同じくらい、基本的な人権を無視したころだろう。

人をみんな自由にすれば強いもの勝ちの世の中になる。

それを防ぐ先人の工夫が次々踏みにじられるところが、今の日本の怖いところだし、それなのに能天気にリビアの件について「そういう時代になった」「起こるべくして起こった」などと答えるテレビでの街の声を聞くと、幸せな人の多い国だとつくづく思う。