本日は、日本心理士会の主催する研修会に出席する。

本音のところでは今年資格更新で、ポイントが足りないということがあるのだが、20人足らずの教室で話を聞くので、寝ることもさぼることもできずに観念してまじめに講義を聞く。

今回のテーマは引きこもり問題で、厚生労働省の調査はなんらかの心の病があるという考え方に対して、講師の先生は内閣府の調査の責任者らしく、それ以外にも引きこもりはいるという立場のようだ。

もちろん、私もそっちのほうが妥当と思う。

この講師は心理畑の人の割に言っていることが妥当だとは感じた(臨床心理の先生方にはおそろしい決めつけをする変な人が多いのは事実だ)

私もそう思っているが、コミュニケーション重視、発表能力重視の教育の中で適応できない子供が引きこもりになっていくという考え方は妥当なものだ。

いじめ自殺として一緒くたにされていた12歳の事例で、実は、いじめられていたことのほかに発表の時間が苦痛だと書いていた(これについてはマスコミはろくに取り上げていない)ことに注目するセンスも悪くない。

現代型の引きこもりの萌芽がオウム真理教事件に見られるという解釈もそれなりに妥当なのだが、コミュニケーション能力重視というのは企業社会からの要請という見方もされていた。

私はこれが現在の臨床心理の世界の引きこもりについてのスタンダードな考え方かどうかはしらない。斉藤環氏の見解とはかなり違うことも確かだ。一応、臨床心理会の研修会の講師であるし、日本精神衛生会の理事長という肩書きの人が講師をしているのだから、ある程度はスタンダードなものなのだろう。

だとすると、産業界からの要請であると同時に、大きな問題は、93年から施行された新学力観が子供のメンタルヘルスに大きな影響を与えているともいえる。

ペーパーテスト重視から、意欲態度や発表能力などを重視するこの評価方法はペーパーテストの割合を25%に下げると同時に、教師の前で意欲的に見えるかどうかが25%、発表がうまいかどうかが25%という内申点のパターンになった。

要するにコミュニケーション下手、発表下手には地獄の採点法である。

結果的に90年代後半から校内暴力と不登校が中学校(小学生は内申書はあまり関係ない)げ激増した。そして今は引きこもりが激増している(今回の見解では、不登校がそのまま引きこもりになるわけではないということだったが、引きこもりのほうが不登校よりはるかに多いとされている)

現在の、内申書教育が引きこもりを増やしているという考え方はそうはずれでなさそうだ。

もちろん、どんな教育法でも、それに合わない子に精神病理をもたらす。

ペーパーテスト重視時代には五月病やスチューデントアパシーという問題があった。そしてコミュニケーション能力や発表能力重視の時代には、引きこもりということなのだろう。

どちらがいいかという話ではないだろうから、基本的には教育というのは、どういう人材が必要かをまず考えて、それによって起こる副作用に対する対処を考えるべきものなのだろう。

だとすると、内申書重視教育は、サービス業向きの人間をつくるにしても、学力低下と引きこもりが副作用ということになる。学力重視教育のほうが私にはましに見える。

もう一つは、この手の教育の副作用が生じた場合の補償である。

集団予防接種の副作用であれば、裁判で莫大な費用を国が払っている。

教育政策の副作用で社会適応できなかったり、心の病に陥る人がいるのなら、やはりこれも国家が補償すべきではないのか?

引きこもりの人用の就労方法を考えたり、彼らに生活保護を与えるなりの施策である。

しかし、副作用を過度に恐れると教育ができないのも事実である。やはり9割以上の子供をまともにするための教育を行い、合わない子に別の対策を立て、それでも心の病や引きこもりに陥る子には福祉で対処するしか国はもたないだろう。

というようなことをふと考えた。

この研修会は、客がみんな臨床心理士であるし、引きこもりにかかわる人も多く、意外に率直な質問も多く出たいい勉強会だった。講師もそれに真摯に答えている。

で、4時半に終わるはずのところが4時20分くらいに話が終わって、講師が質問がないかと尋ねる。

これまで活発に質問が出ていたのに、質問がなくなって、聴講者が帰りたいのは、心理をやっていない人でも明白な雰囲気になっていた。

しかし、この講師は4時半ちょうどまで話を続けた。

完全主義や強迫は引きこもりの原因と主張していた人が強迫の見本や人の心理が読めないことの見本を呈してくれたのが、面白かった。

森田の先生方はもっと柔軟(悪く言えばがさつ)なのだが。