昨日のブログについて、実情も知らないくせにスポーツ推薦の批判をするな、仮にスポーツ推薦などなくても、レギュラーの座を得るためには厳しい競争があるという現実を無視するなというメッセージをいただいた。

確かに、実情を知らないで書いた部分はある。おかげで、実情を知る人から非常に多くのメッセージをいただいたし、スポーツ推薦の被害者ともいえる人がたくさんいることも知ることができた。もちろん、それで実情を知ったことにはならないだろうが、人に批判を書くなというような人は、それだけ学生スポーツの世界に精通しているというのか?私が1を知っているところをその人が10知っていたとしても、全体は100とか1000とかではないかという気がする。

レギュラーの座を得るためにはスポーツ推薦がなくても厳しい競争があるのは当然のことだ。東大の野球部にしても京大のアメフト部にしても、入ればレギュラーになれるわけではない。ただ、自分たちが「大学生」になるために勉強してきた時期に、ろくに勉強もしないでスポーツの練習をしてきた人のおかげで、自分はレギュラーになれないと思ってがっかりする人がいることだけは確かだと思う。

この人に言わせると発言に責任をもっていないというが、私はもっているつもりだし、だからまじめなメッセージが普段の何倍もくるのだろう。

ただ、この人(この人とは限らず、自分は正しくて相手は間違っているという人はどんなに議論をしても考えを変えないのは経験的に知っているので)と不毛な議論をする気はない。

いっぽうで、スポーツ推薦から受験のほうに路線を切り替えた方を紹介したが、現役のときに青山を落ちたという人が、浪人して慶應に入ったと聞いていたが、なんと医学部だそうだ。しかも司法試験も受けるとか。

スポーツをやっている人の多くは、通常の人より大脳皮質が発達しているから勉強の潜在能力はあると思う。

大人は学生スポーツが強いと、OBとして気分がいいとか、学校のブランドイメージが上がるとか思っているかもしれないが、やはり勉強もしないでスポーツだけやらせておくというのは、あまりに危険だ。このリスクや、勉強だってやればできるかもしれないという別方向からの情報も教える人間がいてもいい気がした。

それにしても、この子はすごい。前も自分の通信教育をとっていた子が東大の理Ⅲにトップ合格をした話を聞いてびっくりしたが、師をこえる弟子みたいな気がして、本当にうれしい。

そういえば、美容整形についてどう思うかというメッセージにまじめに答えようと思っていたら、その主から、5cm×5cmくらいの雑誌に載った家族写真から、私の妻が美容整形をしているという確信をしたというメッセージをいただいた。その人が実物をみてそういう疑いをもったというのならわかるが、こういう千里眼的な能力を信じる人とはおつきあいはしたくない。

いっぽうで、

昨日の日記で"クズなメッセージは排除する"と書いてありましたが、僕のような嫁にも娘にも虐げられている冴えないおじさんは、例え関係なくてもクズという言葉にギクリときてしまいます。少子高齢化で年金を貰えるかも分からない将来。僕のようなクズは排除されるべきかもしれませんね。高校出てすぐに鳶で働き初めてから30余年。家計を助ける為に安い給料で必死に働きました。企業に就職した後も高卒者への風当たりは冷たいものでした。待遇を良くしようとも、方針に逆らうようなら解雇もいとわない会社。小さな古い我が家を眺めると、僕の人生がそのまま象徴されてるようで悲しくなります。残された少ない余生も、大半はこの小さな家のローンを支払う事に費やし、やがて少ない人に看取られて息を引き取るのでしょう。生まれた時から勝ち組の筆者さん。格差はいつになったら無くなるのでしょうか? (引用終わる)

というメッセージを受ける

私がやはり生まれたときから勝ち組に見えるのだろうか?けっこう子供時代はいじめられたし、貧乏でみじめな思いをしたものだが。上をみたらキリがないし、下をみてもキリがない。

学歴や収入は高くても娘にも嫁にも虐げられている現実は大して変わらない。学歴や収入があるのに、ボロクソ言われるほうが余計に救いがないともいえる。私だって山路某は羨ましいし、人生の勝ち負けというのは何を基準にするのかは、私にもよくわからない。

ただ、言い方が人を傷つけるようなものであったのなら素直に謝りたい。ただ、ろくな根拠もないのに、人のことをボロクソにいう(家庭内だけで十分だ!)メッセージをクズと言いたくなる気持ちもわかってほしい。

そうはいっても、おそらくは、私も恵まれているほうだということは素直に認めないといけない。

ただ、一つだけわかってほしいのは、それなりに努力をしてきたということだ。現実に私には、ほとんど休みの日がない。

子供には臭いといわれながら、教育だけはつけてやろうと努力している。

私が言いたいのは、学歴社会という幻想が大切だということだ。本当に学歴社会や格差社会がいいなどとは思っていない。

みんなが勉強しないと韓国や中国に確実に負ける日が来る。

このおじさん(私と年が変わらない気がするが)にとっては、少ない人に看取られて息を引き取ることと(私などは、晩年は淀川長治氏のようにホテル暮らしをしたいと思っている。もちろん死ぬときは一人のつもりだ)と、韓国人や中国人に劣等民族と言われるのなら、どちらがつらいのだろうか?私は後者のほうがつらいというのは、ちょっと気障なのだろうか?