いい加減、この話題から離れようと思うのだが、こんなにいろいろとメッセージがきて盛り上がるとは思わなかった(自分だけで盛り上がっているのかもしれないが)。読者との相互コミュニケーションを大事にする(クズなメッセージは排除する)スタンスでリニューアルするというポリシーからもう少し続けたい。

スポーツ推薦の話の前に一つ考えさせられたメッセージを紹介したい。

韓国のほうが、まだ国民を大切にしていることについて。

(以下引用)
素直に見ると,韓国ドラマは質が高いです。そして,日本のドラマが「愚民化」を促しているという視点で比べてみると,韓国ドラマはドラマを通じて「学歴,成功,美,金,親孝行,努力,家柄,愛」の大切さを説いています。ドラマは短くても16話,長いもので180話程あり,細部まで手を抜かず主人公とその周りの人間を描き続けるのですが,よくあるパターンが,高学歴,高収入でハンサムの男性に,名も無き女性が努力して愛される,というものです。女性はヤンキーではなく,貧しいが故に学歴が無く,でも夢があって努力しているというタイプ。
また,貧しい男性が,頑張って有名大学を出て,医者や弁護士,検事を目指し,出世する,など・・。ワンパターンと笑えばそれまでですが,話のおもしろさに引き込まれて見ていくうちに,その価値観も自然とすり込まれていく気がするのです。すり込まれても損はない価値観だと思いますし。韓国は,ドラマでも,学歴の無い者への扱いはひどいです。女性でも,学歴や職業が重視され,それが低いとあからさまに軽蔑される話が描かれています。
(引用終わり)

これが国家戦略というものだろう。アメリカだって、昔は、マッチョを主役にする映画が多かったが、最近は、ヒーローは頭がいい(日本では相棒くらいが例外か?)と相場が決まっている。頭がいいことに憧れさせるという戦略性を感じさせる。

日本の韓国や北朝鮮系のパチンコ屋を広告主にしているテレビ局が愚民化を進めるいっぽうで、韓国は自国民に学歴や勉強や努力の大切さを進める。どっちが植民地かよく考えてみるといい。

しかし、学歴が大事だと私が書くと、ボロクソの批判がくる。

実は、朝テレビで札幌のホームレスの番組をみた。これは重要な試みである。東京のマスコミは地方の悲惨な現実を伝えず、東京から地方に金が流れるのを嫌がる。でも、地方のホームレスは悲惨だし、寒い地方だとなおのことそうだ。

自己責任論への批判もあった。これもその通りである。

私はホームレスへの福祉や再教育には大賛成の立場である。飢えるような国民や凍え死ぬような国民がいる国は先進国とは言われない。

しかしそのいっぽうで、この人たちは勉強しなかったからこんな風になったという「本当の話」を子供たちに伝えないといけないとも思う。

結果的に食べられなくなった人を救うことと、これから大きくなっていく子供たちがそんな風にならないというのは別次元の問題だ。

しかし、マスメディアは逆に、ホームレスの人の福祉を批判する一方で、それが勉強しなかったからというような「差別的」発言も許さない。結果的にホームレスの人は飢え死にして、勉強しない子供たちはホームレスの予備軍になる。韓国や中国の会社が日本の企業を買いあされば、勉強のできない人間は確実に排除されるというのに(アメリカが買っても同じことだが)

結果的な敗者には優しくしても、将来のある子には敗者にならないようにするのが、社会のあるべき姿と思うが、日本は逆だ。

福祉が良ければ、子供は勉強しなくなるという人もいるが、福祉で暮らすのはそんなにうれしいことでもないし、もてないだろうし、現実問題としてリッチな暮らしはできない。

さて、再びスポーツ推薦田問題。

高校は野球の特待生。大学はスポーツ推薦を蹴って、青山と立教を落ちた人が私の本を読んで慶應に受かった(第一志望は慶應医学部とのことだが、どの学部なのかは読みとれなかった)人のメッセージ。こういうのを読むと、私も受験指導を続けて本当によかったと思える。力をもらったありがとう。
(何度も言うが私は東大至上主義でない)

あと、早稲田に不満をもつ早稲田OBの方からのメッセージを読むと、彼らは東大OBと違って母校の批判がしにくいという。ほかの卒業生が怒るのだそうな。東大のほうが自由と感じてしまう。早稲田がマスコミを牛耳っているが、現実には批判を許さない言論統制をやっているのと同じことだ。言論の自由がある国とかいって、皇室の悪口など、日本のマスコミにはタブーが多すぎる。北朝鮮や中国を笑えるのかと思うが、元凶が早稲田にあったとは。

本日の決定打は、スポーツ推薦のせいで、たとえば早稲田に入って野球や駅伝をやりたいお思う子供が、必死になって勉強して早稲田に合格しても、補欠どまりで、まず試合には出してもらえない現実を告発した人だ。

もちろん、試験で合格して野球部のレギュラーになったり駅伝の選手になる人もいる。ただ、せいぜい10人に一人だ。試験に受かった人間が、その大学に憧れているのに、試験と関係なく入った人がいるせいで、試合に出してもらえないのなら、そんなので学生スポーツといえるのか?

私の夢は、いつか、試験に受かった人だけの六大学野球とか、駅伝とかの大会を実現することだ。

そうでないと勉強してきた人間の立つ瀬がない。

それなりの運動能力のある人間が、早稲田なら早稲田に憧れ、そのユニフォームを着たいために勉強してきたのをコケにするのは私には許せない。