私のブログにリンクを張りたいというありがたい申し出をいくつか受けている。

人間がぐうたらなのとITに弱いことがあって、こっちがリンクを張ってもらっても、相手のリンクを張らない(林真理子先生だけは例外的に張っているのは、このブログの開設時に、情けないことに人を介してぜんぶ設計してもらったので、そのときについでにやったので、実は私が自力でやったわけではない)ということでご寛恕いただけるならいくらリンクを張ってもらっても大歓迎である。

さて、私のブログにはいくつも優れたメッセージをいただく。

本日は、中国の事情をよく知らないで中国批判をするのはいかがなものかということだった。

中国があれだけ人口がいるので、すごい人からろくでもない人までいるというのも、まったくその通りだろうと思った。

アメリカが中国の人権批判をしたら、黒人差別の話や犯罪率の高さなどで批判をし返すというのも、蒸し返しと言えないこともないが、言われっぱなしよりはましな気がする。中国は地球温暖化問題や環境問題についても、今の先進国だって、発展の過程で今とは比べ物にならない形で環境破壊をしてきたのに、発展途上国が発展しようとするときは先進国の都合で環境規制をするのはずるいとしょっちゅう主張している。日本人からみるとふざけるなという話だが、第三世界の支持を集めているのは確かだ。

で、その人から、私のウィキリークスの読み方が甘いと指摘された。(この方は知的な方なので、否定するのでなく、私の言うことが正しい可能性もあるがと断っているが)

確かに、中国が北朝鮮を見限ろうという情報の真偽はわからない。アメリカや韓国を安心させるために故意に流した情報である可能性も否定できない。ただ、逆に日本で、まったく中国が北朝鮮を見限る可能性が報じられないことが私が問題だと思うだけだ。

いろいろな可能性を想定しておかないと、リアルな外交はできないと私は信じている。

いっぽうで、北京の教育が世界一であるわけがないというメッセージもいただいた。

もう一つのメッセージの主も書いていたが、いまだに中国の教育は暗記中心らしい。中国にしても、韓国にしても、受験参考書などは日本のものと比べ物にならないくらいわかりにくいし、勉強法という概念もあまりなさそうで、30年くらい前(つまり、私の『受験は要領』が出る前)の鈍臭い勉強法がまかり通っているようだ。

そうでなければ、学校外の学習時間が日本の3倍もしているのだから、今以上の負け方になってしまうだろう。

しかし、二つ目のメッセージの主がいうように小学6年間漢字ばかり勉強するということはあり得ない。

私自身、ゆとり教育反対の際に、韓国、中国、シンガポールなどのカリキュラムを実際に比較検討したことがある。理数教育の時間は日本よりはるかに長い。

偏った情報を信じるのは危険である。ちなみに、PISA調査で世界一だったのは北京でなく、上海である。

ものを考える際には、調べられる範囲で調べてから考えたほうがいい。

私がこのブログを書いているのも、人がものを考える際に、いろいろな可能性を想定するのの足しになえばと思えばこそだ。私の考え方だけを信じられたらむしろ困ってしまう。

もう一つ言っておきたいのは、ひょっとしたら日本の子供のほうが、たとえば中学受験生のほうが中国の子供に勝っている可能性もなくはない。しかし、負けているかもしれないと思って、備えたほうが実害は少ない。彼らはバカに決まっていると決めてかかって得をすることはほとんどないが、負けていると思って、子供たちを叱咤したほうが日本の教育レベルは上がる。

いろいろなメッセージを読んで私が興味をもっていることが一つある。

私の言うことが間違いだと決めつける人とか、経済学の理論と違うと得々として論じる人がいるようだが、文章を読む限り、知識量は決して少なくないのだが、疑う能力に欠けている印象を受ける。

要するに自分が信じている理論や、自分がこれまで読んだ本の内容をあまりに素直に信じていて、それと違う私を攻撃するのである。

こういう疑う能力は、正解を信じ込ませる受験秀才には欠けていると批判する人が多い。

実は、今、上杉隆さんの本を読んでいるのだが、本の内容は私がはっとさせられることが多く、いろいろな可能性を考える上で非常に役立つが、いっぽうで気になるのは、秀才の官僚たちには、考えつかないのだろうというような言辞がやたらに多いことだ。

受験勉強でそうなってしまうのか、官僚をやっているうちにそうなってしまうのか、上杉さんの言っていることはたぶん正しいのだろう。

しかし、私のこれまでの人生経験では、むしろ高学歴の人や勉強ができる人のほうがフレキシブルだし、幅広いものの考え方ができる人が多い。

そこで、読者のみなさんにお願いなのだが、メッセージを書く際に、皆さんどうせ匿名なのだから、学歴と、どの学部で教育を受けたのかを教えてもらえないだろうか?

私は、私の批判者たちがあまりぱっとしない学校の卒業生や、経済学部などの卒業生だと勝手に思い込んでいるが、間違っているかもしれない。また、鋭いメッセージを送ってくれる人について、東大や京大を出た人と勝手に思い込んでいるが、実は、学歴がないのに、優れた考え方の持ち主なのかもしれない。

逆に予想通り、物事を決めつける批判者たちはやはり低学歴で、いろいろな可能性を想定できる鋭いメッセージの主は高学歴なのかもしれない。

もちろん、こんなに少ないサンプルで決めつけるのはよくないのだろうが、受験などの教育が人間のものの考え方にどういう影響を与えるのかはぜひ知りたいのだ。

こんなことを書くと、やはり学歴差別者とか、学歴でものをみる人間と言われるのだろうか?