海老蔵さんがアルコール依存という話をデーブ・スペクター氏が言っていたと教えてくれるメッセージをいただいた。

確かにアメリカ人のほうが精神医療に対する偏見も少ないし、治療に行ったほうがいいという現実的なアドバイスもしやすいのだろう。アメリカのほうが酒の席での失敗を許さない文化もある。

国際化とかいいながら、金持ちや戦争が好きな連中のいうことについては国際化をしろと言いながら、こういうことだけ国際化しないというのはおかしな話だ。

今年も自殺が3万人を超すのが確実な状況だという。

北欧やハンガリーのような自殺率の高かった国がそれを克服したというのに、いつまでもまったく自殺の多い傾向が治まらないのは自慢にならない。

一つには、日本人だけが先進国なら当たり前と思っているような格差(実際は、あまりひどい格差を放置することは、未開の国の扱いをされることのほうが多い)を放置しながら、いっぽうでメンタルヘルスの対応をろくにやっていないということがある。

諸外国では、自殺予防教育を含めて、メンタルヘルスの啓蒙を重視しているのに、日本では、今回の海老蔵氏の件や、私が『テレビの大罪』で問題にしたような、WHOの自殺予防の報道ガイドラインを守らないことも含めて、むしろ精神医療を遠ざけたり、人を死に仕向けるような報道が平気で流される。

まず医者につなげていくということが自殺予防にせよ、依存症治療にせよ、重大な条件になる。

そんなものは個人の趣向だとか、意思の問題だと決めつけず(もちろん、そういう可能性はゼロでないが意外に低い)、まず病気だということを素直にわからせることが重要なのだ。

実は、アルコール依存症というのは意外に怖い病気である。

欧米のようにウォッカをがぶ飲みするレベルのアルコール依存は、日本にはそうはいないので、脳が溶ける(実際、脳の一部がどんどん薄くなっていったり、どんどん小さくなったりする)ほどのことはめったにない。

アルコールで肝臓がやられる、肝硬変や肝臓がんになるというのは、実はC型などの肝炎ウィルスがある場合がほとんどであることもわかってきた。

ということでアルコールの怖さが日本ではあまりないように思われているが、意外な落とし穴が、実は自殺なのである。

心理学的剖検といって、自殺者の亡くなったからの生前の生活や周囲からみた印象などをもとに、生前、何らかの心の病がないかをチェックしてみると、おおよそ9割はなんらかの心の病があるということがわかっている(1割は正常の覚悟の自殺ということかもしれないが)

うつ病が6割から7割ということなのだが、次に多いのがアルコール依存症の15%前後ということだ。

33000人が自殺する日本に当てはめてみると、5000人がアルコール依存で自殺していることになる。

そういう意味で、今回の暴行騒動はともかくとして、アルコールというのは、死にたいと思っている人の決断のきっかけになったり(これは先ほどの5000人にはカウントされていない)、依存症になったあげく将来を悲観したり、判断力が衰えたりしたりで自殺につながるなど、やはり社会的には看過できない心の病のもとなのである。

今回の事件は、アルコール依存症に患者が目を向けるきっかけになるどころか、酒の席だとよくあることとか、「おごり」の結果という話になるようでは、まったく国民のメリットにならないし、自殺も減らないどころか増やすことになりかねない。

「おごりでした自粛します」と謝るより「病気でした、治療を受けます」のほうがよほど世のため、人のためになるのだ。