相変わらず歌舞伎役者の暴行被害事件のことが話題になっている。

気になったのは、今朝見たテレビで、病室を独占取材させてもらった局が、その番組の中で、コメンテーターが無責任な発言をしたことだ。

その発言の中で、お酒を飲んだら気も大きくなるし、けんかをふっかけるようなこともあるだろうし、記憶が飛ぶのも当たり前だという。(誰でもそうだと言っていた気がする)

これが当たり前なのだろうか?

自分もそうだと言いたいのだろうか?

前もSMAPのくさなぎ某(彼がアルコール依存と指摘したら、その内容以上に漢字を間違えたことを指摘されたので、あえてひらがな表記をする)が、裸になって警察にからんだという話のときも、お酒を飲んだらこのくらい当たり前とか、ストレスがたまっていたらそんなものだという論調がいきかっていた。

芸能界に限らず、文化人の業界なども含めて、このレベルの節度のない飲み方が当たり前なのかと思うとぞっとする。

私の知る範囲の文化人の人たちは、こちらがさびしく思うほど、飲み方に節度がある。いい年とはいえ、酔いつぶれるどころか、酔ったようにすら見えない。おそらくそのまま運転しても事故は起こさないくらいのレベルだ。

私が言いたいのは、飲んで、逮捕されたり、あるいは大怪我をするレベルの大きなトラブルを起こすというのは当たり前のことではないということだ。

そんな経験がある人は多く見積もっても数十人に一人のレベルだろう。

そんな風になるまで飲むだけでもアルコール依存症の疑いが強いし、それで酒がやめられないならアルコール依存症である。

それが酒を飲む人なら誰でもという言い方をするのがおかしいのである。

テレビのコメンテーターが、ただの興味本位の野次馬と違って、公益性が求められるのなら、それによって視聴者に何らかの教訓や有用な情報を与えたり、今後の再発予防に考えられることを述べるべきだろう。

だったら、このレベルなら医者にかかったほうがいいということを一般の人に対する教訓としてもきちんと伝えるべきだ。飲んだら当たり前という同情は、視聴者には害すら与えてもメリットなど何もない。むしろ酒乱の人が治療を受けるきっかけを奪うことになりかねない。

とにかく、アルコール依存の怖さをもっと知るべきだし、その啓蒙をやらないマスコミの対応はまさに人殺し、テレビの大罪である。

こんなくらい飲んだら乱れる人がコメンテーターをやるから飲酒運転が、携帯電話運転やスピード違反よりはるかに危険だとキャンペーンを張り続けるのだろう。

ただ、やはり都会は飲酒運転が危険だとも思った。

朝、家族を駅まで車で送りに行ったりするのだが、街中のせいか、通勤途中の人がいろいろな方向から出てくるし、その時間帯に車が少ないことをい
だら当たり前という同情は、視聴者には害すら与えてもメリットなど何もない。むしろ酒乱の人が治療を受けるきっかけを奪うことになりかねない。

とにかく、アルコール依存の怖さをもっと知るべきだし、その啓蒙をやらないマスコミの対応はまさに人殺し、テレビの大罪である。

こんなくらい飲んだら乱れる人がコメンテーターをやるから飲酒運転が、携帯電話運転やスピード違反よりはるかに危険だとキャンペーンを張り続けるのだろう。

ただ、やはり都会は飲酒運転が危険だとも思った。

朝、家族を駅まで車で送りに行ったりするのだが、街中のせいか、通勤途中の人がいろいろな方向から出てくるし、その時間帯に車が少ないことをいいことにいきなり飛び出してくることは珍しくない。

私も少しずつ老化しているのか、ひやりとさせられることは多い。

二日酔いの朝などなら避けられないかもしれないが、事故を起こしたら前日の酒を検知されて「和田秀樹、飲酒事故!」などとニュースになってしまうだろう。

地域によって飲酒運転の取り締まりに差があるのは当然だと痛感した。

逆に人が通らないところで、ここまで目くじらを立てるのもいかがなものかと思う気持ちには変わりはないが。