本日は東大駒場祭で、J-WAVE『Movers & Shakers』 の公開収録。

12月4日のON AIRらしい。

どのくらいカットされるのかわからないが、今の教育の問題点をかなり論じさせてもらった。

私の持論として、高校までの日本の教育はそれなりによかった、だから、海外も日本を教育改革のモデルにした。しかし、大学以降の教育はひどい。誰も見本にしようとしないし、優秀な留学生はたいがいアメリカに行ってしまう。日本人でさえそうだというものがある。

日本の大学教育がダメなのは、やはり競争がないことの弊害が大きいだろう。

競争をあおる経済学者はたくさんいるが、自分たちは終身雇用でもなんの疑問も感じない。

たとえば、予備校であれば、はっきり言って講師陣が自慢ですといって、教えるのがうまい講師、生徒の成績をあげる講師を雇えば、これまでの予備校が脅かされる。

日本の大学の場合、下のレベルとされている大学が似たようなことをやっても、偏差値の序列が崩せない。さらに言うと、そこでかなりいい教育をやっても、企業のほうがなかなか認めようとしない。

私自身は、競争原理至上主義ではないが、競争させたほうが伸びるものと、そうでないものがあるとは思っている。

教育についても、下のレベルの人間を拾い上げる場合と、上のレベルの人間を伸ばす場合は違うだろう。

上のレベルを伸ばす大学教育で、競争があれば、たとえば、東大と慶應と一橋が競争状態になっていて、同じレベルくらいの学生が集まって、どこで教わった人間がいちばん使い物になるかという競争があれば、多少なりといい教授陣を入れようとするだろう。

拝金論が蔓延しているこの国でも、学問の世界では、多少なりと名誉欲が残っている。

ふだんは守銭奴の経営者だって、東大の客員教授にしてやるといえば、タダでも週に1回や2回は講義にくるかもしれない。

身分が保障されていることや、自分より上のポジションがないことは、恐ろしいことになる。

たとえば、私のしる限り、学会の演題くらいは聞くのだろうが、東大教授になると勉強会の講師になる人はいても、それを聞きに来る人はいない。

本は読んでいると主張するだろうが、教授になる前と比べて、論文(共著論文のセカンドオーサー以下では書いたことにならない)の数や、読書量が増える人はまずいないだろう。

自分自身が学ぶ気がないのだから、こんな人間に教えられる人間はたまったものではない。

やはり教授会で教授を決めるシステムを何とかしないと、あるいは終身雇用をやめてある程度の任期制にしないと教える側にまともな人材がこないだろう。

アメリカの場合は、ディーン(学部長ということになるのだろうか?)と言われる人がいて、彼らが、学生を呼べる教授、金を引っ張ってこれる教授、などなどを引っ張ってくる。

いい教授を呼べなかったり、引っ張ってきた教授の出来が悪ければディーンのほうが責任を取らされるから、それなりの人選をする。

机上の空論のようなことしか言えない教授ばかりが教授会で選ばれ、肩書きをみてそれをありがたがるマスコミや官僚(彼らは実は、東大の教授はバカばかりで、御用学者にすぐなっていることがわかっているから使うのかもしれないが)が、その言い分を信じて世の中を動かすから、世の中がどんどんひどいことになっていく。

東大の教授が本当に優秀なら、定年になってからも引く手あまたのはずだが、そうでないから昔と比べて、よその大学教授などのポストが定年後ないようだ。それで定年を60歳から65歳にした。

これだけ東大教授の悪口を書いて、大丈夫なのかと聞いてくる人がいるだろう。

もちろん、大丈夫だ。彼らは肩書きのない人間の書くものは読まない。私の書くものなど誰も読んでいないから、誰も腹が立たない。

チンピラの意見も含めて、いろいろな考え方を一応知っておこうという発想の東大教授を私はほとんど見たことはない(たまにいるが)

人生が80年、85年になるとそういう生き方をした人の晩年がみじめだということは、老年医学をそれなりにまじめにやり、多くの高齢者の80代後半以降の姿を見てきた私ができるアドバイスなのだが。