今週の日曜日だったと思うが、「不適切な」クイズを出す学校の先生が次々と問題にされることについてのコメント取材を受けた。

テレビでどんな風にon airされたか確認していないが、今の教師は生徒に受けを狙わないといけない、そうでないと授業を聞いてもらえない、教室運営がうまくいかない、と思い込んでいるのが背景ではないかというコメントをした記憶がある。

生徒が授業を聞かないとき、私語をしているときなどでも、昔のように「立ってろ」と言うことさえできない。私自身は経験がないが、40代の人と話をしていても、その世代の人でも、鉄拳制裁を受けたこともあったようだ。

わかりやすく授業をする必要はあるが、そのために受け狙いのクイズを出したり、ギャグをいうのは、本末転倒の話だろう。

そんな風には教師を指導していないというかもしれないが、もともと「総合的な学習の時間」というのはそういう発想から生まれたものだ。

当時の文部省のスポークスマンとされた寺脇研氏によると、「少子化や個性化の時代に、受験を動機に勉強させることはうまくいかなくなってきている(これは正しい)。だから、たとえば社会で実際に働いている人などを呼んできて、計算が社会に出て役立つとか、理科的なことに関心をもつとか、そういう風に生徒に感じさせる時間が必要だ」(こっちが勝手に彼の話をアレンジしたことはお断りする)ということで、総合的な学習の時間がうまくいったか、そうでないかは「それを受けた後、勉強時間が増えたかどうか」などで客観的にわかることだそうだ。

要するに、何らかの枕なり、イントロがないと子供は勉強しないと認識されているのである。

これが通常のクラスにだって援用されるのだろう。授業そのものをわかりやすくする以前に、授業に興味をもってもらう、教師の話を聞く気になるというのが重要だというわけだ。

で、その数日後に、今度はセクハラサイコロをやっていた教師が発覚した。

なんの罰ゲームか知らないが、なんらかの悪いこと(たぶん、宿題をやってこないとか、授業中にふざけているとかなのだろう。忘れ物と報じている新聞はあった)をした生徒に、罰として、キスとかお尻をさわるとか、サイコロで決めるというのだ。

確かにふざけた教師とは思うが、女子にキスやお尻をさわるという罰を課しているわけでなく、その先生なりに配慮もしていたようだし、またそれなりに人気教師だし、そのクラスは秩序が保たれていたという側面もあるという。

発覚するや校長のほうは平身低頭で、その教師はあってはならない問題教師とされてしまった。

こういうことというのは、現場の声を詳しく聞かないとわからないことがあるだろう。

昔、人工呼吸器をはずした腕のいい外科の医者が訴えられたことがあったが、その医者の人気に嫉妬した院長派がしくんだリークだという報道もあった(どっちが正しいというわけでなく、いろいろな見方ができるという例としてあげただけだが)。

新潮社のノンフィクション大賞をとった『でっちあげ』という本では、日本初の教師によるいじめ、PTSD事件で、これがいろいろな意味ででまかせだったことが明らかにされている(これも判決上は、一部被害者の言い分が通っており、どっちが正しいかはわからない)。

いずれにせよ、この手のことは、もう少しきちんと背景情報を調べて報道しないと、学校側も混乱するだけだし、それ以上に「冤罪」で、一人の教師の社会的生命を断ってしまうこともありえる。

警察の冤罪はボロクソにたたくくせに、自殺者もたくさん出して、人の社会的生命を断つような報道は平気で行う。

学校の教師というのは、たたくほうの聖域になっているようで、被害者を大量に出す詐欺事件でも、詐欺の疑いのある会社の実名は絶対に出さないし、行う人間にもモザイクをかける。警察が逮捕するまで、匿名報道を続ける。

しかし、今回のセクハラサイコロであれ、不適切クイズであれ、警察沙汰になったわけでないのに、事実上、行った人間が特定できる報道を重ねる。

教師をたたくのは、簡単だが、それで教師が本来の仕事ができなくなったり、教師をやめる人間が続出したり、教師がうつになったり自殺したりでは、教育レベルが下がって当然だ。

「問題」教師より、「問題」教師のフレームアップのほうがよほどテレビの大罪である。

きちんと取材を重ね、自信をもった報道ができるようになってから、改善策も含めて論じさせるべきだし、チャラチャラした有名人にコメンテーターをさせて責任逃れをしながら、その後の後遺症を考えないで報道する姿勢への違和感はとても強い。

私はどちらかというと教師の味方であり、モンスターペアレントの敵でいたい。
に、自殺者もたくさん出して、人の社会的生命を断つような報道は平気で行う。

学校の教師というのは、たたくほうの聖域になっているようで、被害者を大量に出す詐欺事件でも、詐欺の疑いのある会社の実名は絶対に出さないし、行う人間にもモザイクをかける。警察が逮捕するまで、匿名報道を続ける。

しかし、今回のセクハラサイコロであれ、不適切クイズであれ、警察沙汰になったわけでないのに、事実上、行った人間が特定できる報道を重ねる。

教師をたたくのは、簡単だが、それで教師が本来の仕事ができなくなったり、教師をやめる人間が続出したり、教師がうつになったり自殺したりでは、教育レベルが下がって当然だ。

「問題」教師より、「問題」教師のフレームアップのほうがよほどテレビの大罪である。

きちんと取材を重ね、自信をもった報道ができるようになってから、改善策も含めて論じさせるべきだし、チャラチャラした有名人にコメンテーターをさせて責任逃れをしながら、その後の後遺症を考えないで報道する姿勢への違和感はとても強い。

私はどちらかというと教師の味方であり、モンスターペアレントの敵でいたい。