同じ人間が別のアドレスを使って、「論破されたからと言って逃げるな」などとまた失礼な文面を送ってきた。

論破とは何だろうか?私自身、若いころ、新左翼の人たちと一緒になって精神障害者の解放運動や脳死の反対運動をやってきた。

こういう左翼の人たちは、二言目には論破という言葉を使い、偉い大学の教授たちをやりこめたといっていい気になっていた。しかし、私の知る限り、「論破」によって考えを変えたそういう偉い人たちを見たことがない。

医者はそういう社会不適応なことをしても食えるからいい。しかし、会社で同じことをしたら、理屈が正しくてもクビになることさえあるだろう。

そして、論破されたとされた側は、結果的に左翼や患者の解放運動がよけい嫌いになって、結果的に患者さんたちの不幸は、一向に改善されない。

こんな自己満足で何が嬉しいのかと思うようになって、もっとマスメディアを通じて人に訴えかけようと考えを変えるようにした。

ただ、結果的にマスメディアを使おうとすると、あまりに制約が多く、妥協を重ねないといけないことがわかり、今に至っている。もちろん、今の私の影響力は、マスコミが使える勝谷氏などと比べるとはるかに小さいだろう。

政治家になったらとありがたいことばを聞いても、知名度にしても、影響力にしても小さすぎる。

もう一つ、歳を重ねて感じたことだが、絶対的真実、客観的真実などというものはほとんど存在しないと考えるようになったことがある。

相続税の増税だって、飲酒運転の厳罰化の解除だって、メリットもあればデメリットもあるだろう。人が死ぬことが絶対悪と考えている人にとっては、あるいは事故でけがを刷る人が一人でも増えることが絶対悪と考えている人にとっては、飲酒運転を厳罰化は当然だと思うかもしれないが、アルコールが依存性薬物であることを考えるとアルコール依存の人がいる限り、そして地方の公共交通の現状が改善されない限り、飲酒運転や飲酒事故の撲滅はできないから、いきつくところは禁酒法になってしまう。

アルコールで健康を害する人、依存症になる人、アルコール依存にまつわる自殺を合わせると年に死亡者数は1万人程度にはなる。飲酒死亡事故の40倍の数だ。それでも酒販を禁止しないのは、それだけのメリットがあると考えられているからだろう。

経済的そのほかのメリットと人の命のどっちをとるかなどは相対的なもので絶対的なものではない。

税制にしてもやってみないとどんなメリットとデメリットがあるかはわからない。

消費税の増税で財政が立て直って景気がよくなるのか、逆に余計に消費が冷え込むのかはやる前から勝手な予想をする人はいくらでもいるが、本当のところはやってみないとわからない。

本日も、相続税より固定資産税の増税のほうがいいというメッセージをいただいた。正しいかもしれないし、地価の大幅下落が起こってかえって税収が減るかもしれない。

絶対的な真実の存在を信じている人は私のブログの読者には向かないと思う。私のブログは、「そうだったのか」と思ってもらうために書いているというより、これまでの常識に加えて「そうかもしれない」と思えるものを付け加えるために書いているからだ。

実は、本日は不登校児の教育をやっているところで講演会を行った。

子供の心の問題と闘う親の中には厳しい人がいる。自己実現や勉強ができることが是という考え方に対して痛切な反論を食った。

ただ、私は最初からあきらめるべきでないし、人生というのはなんらかの取り柄や夢を探す旅のようなものだという考えは変えなかった。

それでも、最古にこう付け加えた。

「私は実はこの手の講演が嫌いです。こうやって高いところから話をしていると、こっちが正しくて、フロアの方の言っていることのほうがそうでないように聞こえるかもしれませんが、私の考えとフロアの人の考え方は対等だし、どっちをとるかは皆さんの自由なのです。私の考えも、参考にしていただければ幸いです」

こっちを論破していると思っている人は自分のほうが正しいと思っているのだから、こちらが何を言っても時間と労力の無駄である。

そして自分が正しいと信じ切っているから、失礼なものの言い方も平気で出来る。絶対的な真実だから相手の気持ちを変える必要も感じていない。それと比べたら固定資産税の提言をしてくださった方のほうがはるかに私の説得しようという熱意が感じられる。

いずれにせよ、こういう人が社会的に成功しているとはとても思えない。成功者だとすれば名乗り出てほしい。

しかし、論破というのは幸せな考え方でもある。

「オレな、内田樹(今たまたま賢い人だと思っているので名前を出したが)を論破してん。俺が議論ふきかけたら、相手は返事をしないで、逃げよった」

どんな相手でも、これならいくらでも論破できる。たまにむきになって(私もその口かもしれないが)反論してくる人がいるかもしれないが、忙しい人ほどそうでもないだろう。

「でも、それって相手にされていないってことじゃないの」

そう言われても、論破したと信じていられる人は、(主観的には)幸せな人である。

その幸せを大切にしてほしい。

社会的成功も、社会的影響力も、社会的地位も、学歴もあるいは金もなくても幸せでいられる能力、自分のことを天才だと思える能力は本当に羨ましい。私などはそれができないから、今でもあくせく、地位や影響力を求めて勉強をし続けているのだから。