不勉強裁判官をクビにできるシステムを作ると、有力政治家の子供などが事件を起こしても、裁判官がクビを恐れて、それを有罪にできないなどというメッセージをいただいた。

本質的な誤解だが、行政や立法府が裁判官をクビにできるシステムを作れと言っているわけではない。

それは憲法違反である。行政や立法府と独立した機関を作れということだ。検察審査会だって、そういうシステムだから小沢一郎氏でも立件できるのだろう。

第一、今のマスコミがそんなことを許すわけがない。このメッセージの主は、政治家の子供がレイプ殺人を犯したが、裁判官を変えるシステムのために、無罪になるという例をあげて、こんな制度はいけないと言っているが、そんなことを自分の子供可愛さのためにしたら、マスコミの袋だたきにあうし、その政治家だけでなく、その政党が、次の選挙でぼろ負けすることになる。

確かに、自民党政権時代はそんなこともあったかもしれない。押尾学の部屋にも大物政治家の息子がいたという話はまことしやかに流れてくる。しかし、今のマスコミは、少なくとも政治家に関しては怖いものなしだ。

ただ、金の力やスポンサーの力で、大物の子供が処罰されないということは現実にある。昔のマスコミが自民党の悪には目をつぶったのも、機密費をばらまいていたからだとよく言われる。

昔、慶応大学医学部生による集団レイプ事件があったが、主犯だけが21歳の成年で、残りは未成年だった。

ところが、その男の父親は老年医学の世界の大物だった。そして、どういうわけかその男は実名報道されず、また、起訴猶予となった。そして、今は医者になっている。

私は人が更正するのは基本的に喜ばしいと思っているから、その男が医者になっていることはとやかく言うつもりはない。ただ、その後、老年医学の世界では、血圧が正常よりやや高いくらいでも死亡率が変わらないことや、コレステロールが高いくらいのほうがむしろ長生きしていること、高齢者の糖尿病で血糖値を正常まで下げるとむしろ死亡率が下がることが明らかになっているが、なぜか日本の老年医学会では薬を減らすガイドラインは出されていない。

年に確実に1兆円は無駄に使われている。私の勝手な推測だが、息子の実名報道を避けるために製薬会社に頭を下げ、製薬会社の意を受けた代理店の圧力で実名報道がなかったのだろう。そして、10兆円くらいの国民医療費(保険財政から出ている)が無駄に使われた。最近になって、頭を下げた相手たちが定年になったのか、老年医学の世界でも薬を減らすガイドラインの研究がやっと始まった。

もう1通、私が社会の脱落者になりそうな子供たちに厳しい全寮制教育や、犯罪者への厳罰化を訴えたら、こちらが非常に不快になるような言い方で批判するメッセージをいただいた。

私は、本当に弱者との連帯は難しいと思う。

金持ちけんかせずとはよく言ったもので、勝ち組の人たちは、けんかは売ってこない。私が「相続税100%論」を彼らの前で提言しても、へらへら笑って「面白いアイディアですね」と言ってくれる。人当たりもいい人が多いし、とくに2代目の人たちは威張ることもあまりない。

金持ちに好感を持つ人が多いのは当然のように思える。

一方、弱者とか貧しい人たちは、私なりに(もちろん、自己満足かもしれないし、不遜かもしれない。それでも気持ちの上では味方をしたいと思っている)弱者の味方として文章を書いても、気に入らないところがあるとガンガン攻撃してくる。精神的にも不愉快になるし、本業の邪魔になることさえある。金持ちの味方になって、弱者に自己責任論を押しつけ、そこからのメッセージも負け犬の遠吠えと斬って捨てたほうがよほど楽だ。

ただ、たとえば、私が弱者の味方と言いながら、犯罪に関しては厳罰主義だし、教育については厳しい教育を求めるのは、結局、放置しておくと損をするのは常に弱者だからだ。

勉強をしない貧しい子供や、虐待を受ける貧しい子供を放置しておくと、その世界から這い出せない。

大きなお世話と言われるかもしれないし、自由にさせるべきだ、勝者の価値観を押し付けてはいけないというのは簡単だが、ものを知らない状態で選んだ人生の選択が、本当の意味で自由な選択とは絶対に言えないはずだ。結局のところ、左翼の子供への過度な同情に、自分の子供に勉強をさせなくても後を継がせたい金持ちたちの思惑が一致して、日本は愚民化されてしまった。そのうそに気づくのは中流以上と高学歴者だけだった。そのあげくが今の格差社会だ。

犯罪についても、二つ理由がある。

確かに貧困が犯罪を生んでいるのは事実だ。しかし、貧しく、失うものがなくなっても、ほとんどの人(おそらくそういう人の95%以上)が犯罪に走っていない。

貧困のせいで犯罪をする人間に寛刑にするというのなら、貧困に耐えて犯罪に走らない人間の立つ瀬がない。

実は、精神障害者についても同じことがいえる。統合失調症で、「殺せ」という幻聴が聞こえる人は、おそらく万単位でいるだろう。しかし、現実に殺人を犯す人は数十人しかいない。ほとんどの人は幻聴に苦しみながら、自らの良心で犯行を思いとどまっている。幻聴があればすべて人を殺すというのは彼らに失礼だし、頑張っている彼らのためにも、頑張れなかった人はやはり罪に問われるべきだと私には思える。

それ以上の問題は、とくにわが国では、結局のところ、犯罪被害者は弱者であり、貧しいものであることが多いのだ。外国のように金持ちが誘拐され、銀行強盗が頻発することはない。

9.11以降、アメリカの指示にしたがって世界的にテロ対策が広がっている。裸を見られるような機会を通らないと飛行機にも乗れなくなっている。しかし、これはおそらくそれを諸外国の金持ちが望んでいるからだろう。ヨーロッパでも格差社会化が進んでいるから、テロ対策は金持ちにとっては、自分たちの安全につながるからだ。また、中国でも金持ちと思われると、敵視され、逮捕されることさえ頻発している。

しかし、日本では、秋葉原でもマツダの工場でも被害者は大衆であり、経営者ではなかった。

革命の歴史のない(明治維新だって、武家によるクーデターと考えていいだろう)この国では、どんなに貧乏をいじめても強者は被害を被らない。

金持ちのほうが死刑反対論者や自称ヒューマニストが多いのもそのためだろう。

少年犯罪にしても、被害を受けるのは、ほとんどが少年である。だから、当の少年たちは8割方、少年犯罪を厳しくしてくれと言っている。

「お前を殺しても大して罪にならないんだよな」などという悪ガキがいる教室で安心して勉強ができるわけがない。

悪い少年の人権を守り、弱い少年の人権が無視されることが大人の勝手な同情の結果である。

それでも、私は弱者とか、貧しい者の味方でありたいと思うのは、何度も書くが、格差社会が嫌だからだし、貧しい人間の多い国は恥ずかしいと思うからだ。貧困が残っていることは国の恥なのである。(私がそれをフリチン国家と書いたら、やはりぼろくそを批判をされたが)

いつまで精神的にもつかわからないが、何とか弱者の味方を続けていたい。思いあがりと思われるかもしれないが、連帯できる人、この指止まれの心境である。

金持ちは私には人当たりはいいが、ちゃんとスポンサーを通じて、テレビからは排除するのだから。(たとえば、たかじんの番組なども結局金持ちの味方の集まりであることがだんだん明らかになっている。辛坊氏の書きものや橋下氏の政策をみればわかるだろう。もちろん、私などはお呼びがかからない。庶民派テレビに騙されてはいけない)