本日も考えさせられるメッセージをいくつもいただいた。

どれも納得できる内容ではあった。

一つ、納得できなかったものがある。昨日のブログで、最高裁判所の裁判官は国民審査があるし、下級審の裁判官は憲法上は10年の任期で、最高裁判所の指名した名簿によって、内閣が任命するのだから、不勉強な裁判官をやめさせることはできるはずだというメッセージをいただいた。

このブログの読者の方ならわかっていただけると思うが、私は建前や規則上の話をしているのではない。

現実に国民審査でクビになった最高裁の判事は一人もいない。投票のシステムを、辞めさせたい人に丸をつけるのでなく、まだ続けてほしい人に丸をつけるようにすれば多少は変わるかもしれないが、今のシステムでやめさせることは恐らく出来ないだろう。

それ以上に、前回問題にした不勉強な人間をチェックするというのであれば、素人では無理だ。

医学問題の裁判で、医学的におかしい判決を出すとか、そのほか専門知識の精査があまりにずさんだったことをチェックするのなら、やはり専門家による審査機関を作らない限り無理な話である。

さて、今朝、テレビをみていると、また田代まさしが逮捕されたニュースが大きく報じられていた。

その際に、あるコメンテーターが「なんで、家庭も仕事もすべて、これで失ったのに、またやるのか」などと論じた。

すると、すかさずワイフが、「何もかも失ったからやるんじゃないの」と見事なレスだった。

おそらくワイフの言うことのほうがはるかに当たっている。

むしろなんでまたやるのかというのなら、「ブログでも人気者だし、ときどきゲストでも出られるようになってきたのに、なんでまたやるのか?」というほうがはるかに一般の感覚に近いだろう。

警察につかまるために万引きをやる高齢者たちと同じく、失うものがないと思えば、警察の怖さより快楽のほうが勝ってしまうのが人間の性だ。

私だって、失うものがないと思ったら何をやるかわからない。

これだけ、失うものがない人が増えたのに、性犯罪だの、食い逃げのような、捕まる前につかの間の快楽を味わおうとする人が多い日本はまだまともな国なのか、そのパワーさえ社会的弱者がもっていないのか、あるいは、逆に刑務所に入る前にいい思いをしてしまうと、逆に刑務所暮らしがつらくなるという遠謀が働いているのかのどれかだろう。

ただ、依存性薬物というのは、失うものがようやくでき始めた人を、また刑務所に引きずり戻してしまう怖さがある。

今回はそういうところが切なかった。

芸能人というのは以外にしぶといとも思った。リッチな暮らしでないにせよ、それなりの住所に住んでいるようだし、ちゃんと彼女もいたし、決して安くはないコカインも買えている。

通常のワーキングプアより、落ちた人間のほうがリッチというのも逆に不条理だ。

いずれにせよ、今の日本という国では、いったん、まともな正社員とか、家庭人のレールから落ちてしまうと、戻ってくる道があまりに乏しくなった。

失うものがない人間は、さらにやけくそを起こす悪循環に陥りやすいのは、アメリカのスラムを見ていてもよくわかる。

弱者の悪循環が、やけくそ犯罪の激増につながるまでは、マスコミも大企業も弱者に冷たいままなのだろうか?