中学生の次男をトイレに11日間も閉じ込めた鬼畜親に求刑の半分の判決がでた。

ほとんど食事もあたえず、殺意があったと見られても仕方ない事件である。

しかし、この不勉強裁判官は、「逃げる気になれば逃げられた」とか、「子供にも親の期待に応えようとするところがあった」などと論じ、結局、罪を求刑の半分にしてしまった。

虐待について、ちょっと勉強すれば、あまりにひどい虐待を受けるとサレンダー状態という心理状態になって、虐待者のいいなりになってしまったり、逃げられるのに逃げないで、むしろ一緒にいようとする心理状態になるというのは、半ば常識的な話である。

裁判官というのは、弁護側や検察側の調書や資料、証拠などを見ることができるように十分な時間が与えられている。ついでにいうと、弁護側や検察側の言い分が、たとえば現在の医学の常識と照らし合わせて妥当なものかを勉強する時間も与えられている。不勉強な裁判官に対して、いくらでも出まかせを書いてくれる、医者や専門家を使えば、検察や弁護側のいいような判決が出てしまう。昔と違って、インターネットを通じて調べられることが多いのだから、はるかに、自分の受け持つ事件についての、さまざまな「常識」や現在有力な学説は調べやすくなっている。

しかし、裁判官は、不勉強でもクビにするシステムがないし、免許の更新制もない。司法の独立をいいことにさぼり放題である。ろくに弁護側の調書や証拠を読まなくても、検察の言いなりで判決を書いても咎める者はいない。検察側の書類を読んでいないと、いろいろな形で嫌がらせはされるようだし、最高裁判所の事務総局などを通じて、人事面である種の冷遇を受けることはあるようだが、弁護士のものなんか読まなくても、誰も処罰しない。

唯一、そのチェック機能になっているのが、控訴である。要するに検察側から見ても、弁護側から見ても控訴されるような判決ばかり書いている奴は、いい加減な奴だと見なされるらしい。逆に双方から控訴されないような判決を書いていると、何の勉強をしていなくても、優秀な、また公平な裁判官ということになる。

そのためにテクニックが存在する。まず検察の顔を立てるために、検察の論告などは100%是認する。検察の言うように、まったく許しがたい犯罪であるなどと判決趣旨に書いておく。次に、弁護側に控訴されないために、「しかし、被告は非常に反省しており、再犯の可能性も低いから執行猶予とする」などという判決を書く。判決趣旨を読むと、ものすごい悪いことをしたことになっているのに、なぜか執行猶予がつく。すると、検察側も自分たちの論告が認められたので、よしとしようと控訴をしないし、弁護側はせっかく執行猶予がついたのだからと被告を説得して控訴をしない。

これが基本的な図式だ。

要するに、今回の林正彦裁判長も、虐待についてわざわざ勉強する時間がもったいないので「被害者の尊厳を踏みにじる、無慈悲で悪質な行為だ」と言いきっておいて、なぜか、次男の状況を「早期に助けを求めることができた可能性があり、被告の期待に応えたいという気持ちもあった」などと判断するというエリート裁判官にありがちな、ダブルスタンダードな判決を出すわけだ。

しかし、虐待事件について、裁判官がこんな奴らばかりでは困る。この次男は身長165cmに対して体重は40kg。成長期にこんな仕打ちをされたら、脳の発達が悪くなる危険性は高い。まともな職業につけないリスクも、将来犯罪者になるリスクも、まともな親に育てられるよりはるかに高い。

そうでなくても高齢者が増えるのに、不勉強裁判官が虐待をしても罪は軽いと世間に思わせることで、将来の福祉負担は増えるし、犯罪のリスクも増えるのである。

第一、裁判官は裁判をしていない日に、家にいて勉強をすることで給料をもらっているのだ。それをさぼっておくのをチェックする機関がないのはおかしい。

毎年同じことを教える学校の教師には10年で免許更新が課されているのに、裁判官や大学教授にはなんと甘いのだろう。

医者や弁護士も確かに免許更新がないが、医者だって、まったく勉強せずにいつまでも古い治療法をやっているとだんだん患者がこなくなるし、弁護士も不勉強のために勝てないとクライアントが減るだろう。今後、司法試験合格者が増えるとよけいにそうなるはずだ。

いろいろな判決について、とくに医療訴訟や虐待事例、経済犯など、裁判官があまりに最新の常識と違う判決を出したときに、それを審査できる第三者機関をぜひ用意してほしい。

ついでにいうと、裁判員裁判にしても、冤罪事件にはかかわりたくないだろうから、この手の、被告人の犯行だということが明らかな事件について、量刑を市民感覚で決めるほうに活用すべきではないか?

虐待死の多くは、傷害致死だが、市民感覚では明らかな殺人である。

求刑は、傷害致死で出されても、裁判員で殺意を認めるくらいのことをすれば検察の弱腰も治るかもしれない。

ついでにいうと、アメリカでは、一般市民に虐待に通報義務があるが(その子供の将来が自分たちに帰ってくるというコンセンサスがあるからだろう)、日本では、怪しいと思っていたとヘラヘラ笑ってテレビに近所の人が出てくる。

これまで、凶悪犯罪も少なく、また知能が低いため仕事につけない人の少ない教育国だった日本を守るためにも虐待だけは毅然と戦わないといけない。