人間が単純にできているせいか、予想外に多くの励ましの言葉をいただいて、機嫌をよくしている。

私自身、偉そうに説教を垂れるような立場の人間でもないし、万が一、そのくらい社会的地位が高くなったり、本が売れてもてはやされても、そんなことをしたくないが、それでも、私の書くような話が人を元気づけたり、自分の気づかなかったことを気づかせてくれるくらいに役に立っているのなら、書いている者としてこの上なく嬉しい。

実は、私のブログ対する考え方は、テレビや新聞での顔が表の顔、ラジオに出してもらうときはもう少しゆっくりしゃべれる時の話ができる顔とすれば、このブログは悪く言えば、裏の顔、よく言えば、素顔の自分を見せる場だと思っている。

これは、露悪という意味でなく、正直という意味なのだが、たまには品のない言葉も使うし、自分のスケベさを含めて恥ずかしい話も書く。いわゆる無礼講というものだ。

そういうありのままの自分でいられる場として、このブログがあって、そういうありのままの私が面白いとか、よそで聴けない話と思ってくれる(よそで聴けないというだけで、それが正しいと言いたいわけではない)人が読んでくれると嬉しい。そういうサークル感が私が好きなのだ。

さて、小沢氏が首相になったらとか、日本の安全保障のことをあれこれ言う人は多い。

ただ、私はベルリンの壁が崩壊して、中国も実質資本主義国になった今、安全保障というのは、資本主義体制そのものなのではないかと思うようになった。

ルーラがブラジルで好き放題をやり、チャベスが露骨に反米政策をとっても、あの横暴なブッシュが手を出せなかった。それだけ貿易相手国として重要だったのだろうし、ほかの国の不買運動を恐れたのだろう。イラクとの戦争を始めた原因は、完全にでっちあげだったが、少なくともでっちあげをやらないと、反米だというだけでは攻めることができなくなっている。チリのアジェンデ政権のころとは時代が違っている。

ソ連のアフガニスタン介入の際は、アメリカが小麦の禁輸をやろうとしたが、アメリカの農民が反対して流れたことがある。表向きは人道上の理由だったが、資本主義の国では、お客様が神様だし、お客がいなくなると困る人間の票も大切である。

アメリカは意外な農業国だから、実は、アメリカから小麦や大豆を買っておくのは意外な安全保障かもしれない。

私自身は、これからは、紛争なのか戦争なのかわからない規模の戦争しか起こらないと考えているが、少なくともある国が攻められて、そのせいでお客さんでなくなるのが困る国が、その国を守るというのが基本的な図式だろう。

やはり売り手より買い手のほうが偉いのが資本主義の鉄則なのである。

たとえば、日本経済がどんどん落ち目になって、外国からものを買えないような国に落ちぶれたときに、中国であれ、韓国であれ、台湾であれ、日本の一部を領土と主張し、軍隊を出してくれても、アメリカは何もしないだろう。ゴミの国の戦争のために、金を使う、人を差し出すなどバカバカしてくてしない。

そう考えると日米安保は確かに、日本を守ってくれなかったが、日本が余計な軍事予算を使わないで済んだから、日本を守る価値のある国にもっていくのには大いに役立ったはずだ。

それにしても、日本人の中流からどんどん金をまきあげ、そのくせして何も買わない、投資をしないで金を貯めこんでいる金持ちや企業はどういうつもりなのだろう。彼らのせいで、どんどん日本がお客さんの国でなくなっていることに安全保障の危機を感じる。

もちろん、戦争はなくてもテロは残る。でも、テロの標的になるのは、アメリカに尻尾をふる国と、卑しい金持ちだということは忘れてはならない。

そこでも、やはり安全保障の危機を感じるのだ。