朝の産経新聞を読んでいると伊藤元重氏が、「日本の企業の貯蓄資金が積み上がって、膨大な手元資金がある。企業は積極的にコスト削減に励んできて、利益を拡大させ、それが潤沢な内部留保として残されているのだ。」と書いていた。要するに、それが積極投資されないことを問題視しているのだが、一方では企業の倒産があり、一方では賃金の買いたたきがあり、一方では失業問題がある。

法人税を下げろというが、何度もしつこく書くが、これは利益に対する課税である。これを下げることで企業が競争力を増すというのは、手元に残った金を使って、積極投資を行うなどするためである。ところが、そういうことをしないで金を貯めこむだけでは、経済が回らない理由になるだけだ。そして株安などに付け込まれて、外国企業にM&Aなどを受けると、その内部留保が全部外国にもっていかれる。日本人のクビを斬り、購買力を奪い、かつそのために消費税を上げないといけないのに、法人税を下げることに実効性がないことは、現状を見るだけでもわかる。法人税をむしろ上げて経費を大幅に認めるというやり方をとらない限り、企業が金を貯めこむ状況は変わらない。外国に逃げていくというのなら、営業している場所で課税できる税制に変えればいいだけだ。日本で商売をしたいなら日本国に税金を払うのは当然のことである。

昨日のブログについて、フリチンということば(もしくはそのイメージ)が下品だという批判を受けた。

その通りだと思う。

私は貧困を放置することは下品なこと、少なくとも国際社会では恥ずかしいことと認識しているから下品で恥ずかしいことばを使ったつもりだ。

上品なことばで伝えるほうが有能な文筆家と考える人もいるだろうが、私はそういう考え方をとっていない。読みたくない人は読まないでいいようにわざとタイトルにフリチンという言葉も入れておいた。それでご寛恕願いたい。

教育を論じる人間や人に影響を与える人間が下品なことばを使うべきでないという考えもあるだろう。私も下品な行動は慎むべきだとは思う。(これは人に見える場という意味で、トイレの中とか寝室の中まで規制されたいとは思っていない)たとえば、福祉をやらない国は、外国からみてフリチンで歩くようなものだというたとえ話を講演でして、そのインパクトを高めるために公然でフリチンになったらさすがに下品だろう(その前に公然わいせつで捕まるが)。しかし、表現手段として下品なことばを使わない、差別用語を使わないというのは、単なる言葉狩りになる可能性が強いだろう。放送禁止語のほうがネットの世界や家庭の中では差別語として逆に使われるようになってしまう。

さて、私は下品とは思わないが、ラーメンが好きなのは何度も書いている。

本日は久しぶりにわざわざ食べたいと思ってラーメンを食べに行く。

築地の場内の食べ物屋が並んでいるところにある、「やじ満」という中華料理屋(店員の白い制服をみて、昔ながらの中華料理屋と感じた)のあさりラーメンである。

実は、2回ほどふられている。

いろいろな理由で出かけるのが遅れると、1時に閉店なので食べられないのだ。

でも、夏季限定なので、早く食べないと次の夏まで食べられない。

さて、肝心のラーメンだが、細麺で自己主張のない味だが、麺そのものはそれほど評価しない。コシが弱く(後で調べたらかためにしてもらえるそうだ)、麺の味は平凡レベルだ。

でも、スープは抜群だ。

塩ラーメンのはずなのに塩味は強くない。

あさりの味はばっちりしみ込んでいる。それもそのはず、大粒のアサリが5粒も入っている。これはすべて国産。

このアサリそのものがすごくおいしい。

さらにキクラゲやタケノコなど私の好物もちりばめられている。

で、スープは絶品と言っていいのだが、さらに北海道の塩ラーメンのようにバターまで入っている。これがうまい(全部溶かそうと思ったらワイフに止められたが)。

バターが溶けたせいか、最初は透明のスープが最後は白濁するのだが、ちゃんぽんのスープをさらにうまくしたような味わいだ。

これなら950円でも安いと言っていい(実際、中華そばは550円だか520円のはずだ)。

ただ、ここに来るために駐車場に入る道を間違えて(1時までに入らないといけないから焦っていた)、Uターン禁止のところをUターンして罰金6000円。トホホな一日となった。