昨日は朝から吉田照美さんのラジオに出演。

『テレビの大罪』を取り上げていただく。

私は、実は中学生くらいからラジオの大ファンである。

そして、今でも果たせていない夢に、ラジオのパーソナリティになりたいというのがある。

かつて大阪で準レギュラーでコメンテーターをやっていた時期があるが、そんなに下手ではないという自負もある。

テレビに向かないのは自分でも認めるが、少しゆっくり話せるのなら、それなりにわかる話をする自信はあるのだ。

毎週のニュースを心理学で斬るとか、受験生も介護家族も含めて、ありとあらゆるジャンルの本音相談をするとか、ギャラは安くてもいいからラジオ番組を持ちたいというのは本心からの夢である。

で、照美さんについては夜の番組のころからも面白かったが、いい年こいてからもずっと聴かせる番組としてものすごくインパクトが残っているのは、吉田照美のやる気MANMANだ。これはすごい番組だった。昼番組のノリと違ってグイグイ引き込まれる。もちろん、今の朝番組も多局のものと比べるとネタの裁きは天才的だが、ラジオというのは、意外にアシスタントが重要な位置をしめる。小俣雅子とのかけあいは、今後、放送史に残ると信じている。本当はインテリの小俣女史があそこまでバカをやったといところもすごいし、小俣さん相手だとどんどんツッコミが鋭くなる照美さんとのかけあいは本当に忘れられない。

中学、高校時代にナチ・チャコパックというTBSの深夜番組があったが、野沢那智、白石冬美のコンビも本当によかった。確か、中園ミホさんだったと思うが、白石冬美さんとの飲み会をセッティングしてもらえる話になったが、いまだに実現していない。

ということでラジオの人とお話しできる機会だけでもうれしいし、ラジオに朝から出ていると、一日機嫌がいいというのが単純な私である。

ラジオというのは、庶民の味方のようなところがありながら、テレビのように知的レベルを落としていないというのが、私のラジオ好きの所以である。テレビのディレクターには、1分以内でコメントをまとめろ、中卒の人でもわかるように話せと口を酸っぱくして言われる。ゆとり教育と同じで、下にレベルを合わせると上の人間は退屈するし、日本の昔の中卒、高卒はそんなに知的レベルが低くない。

実際、普段からラジオを聴いているタクシーの運転手などの話は、確かに単純な話もあるが、こちらをうならせる話も多い。

映像もないのに、言葉だけで、それなりのレベルの話をしてもちゃんとわかってくれるのがラジオリスナーなのである。

で、夜は、梶原しげるさんとの会食。

実は、私は梶原さんが、日本で一番知的なジャーナリストだと思っている。

大学院で臨床心理学を修め、敬語の使い方を含めて、彼の一連の日本語論、コミュニケーション論は、実例を含めて、ものすごく説得力がある。

これまでのテレビのビジネスモデルが通じなくなると、また違う形の発信ができるようになるという予想をされておられたが、私もそれを期待している。

最近、池上彰氏がでてきたり、クイズ番組ブームの再来などがあって、知的な番組は当たらないという思い込みがやっと解けつつあるが、テレビはもっとラジオを見習うべきだ。

それでも私はラジオに出たいが。