私がアスペルガーだったが、ADHDだったかということについて多少付け加えておきたい。

子供時代は人の気持ちがわからないわがままな子と言われていたし、かなり今でいうところのKYな発言が多く、ずいぶんいじめられていたのは確かだ。

またゲームで負けると、あるいは負けるのが確実になると盤面をひっくり返すようなことがしょっちゅうあった。いちばんの犠牲者は私の弟で、いつもわざとゲームを負けさせられていた。中学受験の時だったか、何か勉強ができないので、むしゃくしゃして、寝ている弟の足をコンパスの針で刺したこともあった。

このレベルなら、今なら簡単にアスペルガー障害の診断をつけてしまう気がする。

今でも、私のことを性格が悪いとか社会適応ができていないと思う人も少なくないかもしれないが、昔と比べるとはるかにましと思っているし、お世辞かもしれないが、知り合いの文化人の人たちの間では性格がいいことになっている。

私がアスペルガー障害のようなものは、重症のものでなければ、ある程度環境因子やしつけという名の行動療法で治りえるという楽観をもつのは、このためである。

ついでに言うと、私は、小学校1年生のときは授業中に立ち歩きをしたし、小学校3年生くらいまでは机に向かって勉強ができず、いつも動きながら勉強をしていた。

難しい学習塾に入ってから落ち着いたらしいので、ADHDと言えるかどうかわからないが、小学校の低学年のときなら、今ならそういう診断を受けたかもしれない。

要するにレッテル貼りをするより、知らないで育つほうが幸せであることのほうが多い。もちろん、それが本格的な病気の場合は、周囲の理解も必要だろうが、そうでない場合は、その手のハンディキャップを背負いながら努力をしたほうが、大人になって有利なことは多い。

筆談ホステスの母親が、普通学校に入れるために、読唇と発語法を教えたように、障害に甘んじるより、障害に闘うという方法もあることは、知っておいて損はない。

さて、昨日の補足である。

円高になれば、政府がドルを買うだけでなく、そこで買わされたドルで国債を買わずにすぐに金を買えと言った。

これは、心理学の行動理論に基づく発想である。

円高誘導をすれば、アメリカが国債を買ってもらえるのなら、まさに円高を放置したり、円高を仕組む人間を助けるほうが、賞を得ることになる。

しかし、円高を放置しておくと、どんどん金が買われるとか、アメリカ企業が買われるとか、あるいはアメリカの不動産が買われる(今はこれが歓迎なのかもしれないが)のなら、罰が与えられることになる。

不適応行動に賞を与えると、それを助長することになるし、罰を与えるとそれを抑制することになるというのが心理学の鉄則だ。

たとえば心因性の喘息の子供の場合、喘息の発作がひどいときに抱きしめて、そうでないときに親が安心して買い物に出かけたりすると、発作があるときに賞を与え、ないときに罰を与えることになる。

すると喘息が余計にひどくなってしまう。正解は、発作の時には吸入器を投げ与えるくらいにして放っておいて、発作がないときに一緒に遊んでやるとかすべきなのだ(もちろん、本当に心因性の場合に限るが)。

日本が企業を守りたいのなら、何が相手に賞で、何が相手に罰かを考えるべきだ。

経済学者は外野は黙れというだろうが、心理学を無視しているからいつまでも経済がまともに戻らないことを知るべきだ。