昨日のブログで意味がわかりにくかったかもしれないが、日本では8月15日をもって戦争が終わったと考えるのがあまりに当たり前になっているが、これは白旗を挙げて、こちらが降伏した日という意味なのだろうということになる。

実際にボツダム宣言を受諾すると連合国側に通達したのが14日で、15日というのは、それを国民に発表した日、軍隊に停戦命令を出した日が16日、そして、その宣言を合意文書として調印がされたのが9月2日ということになる。

どの日に戦争が終わったかというのは、いろいろな解釈が可能だろう。連合国が通達を受けた日に戦争が終わったと見ることもできるし、軍隊が戦争をやめた日(実際は、その命令を受けても一部の軍隊は戦争を続けていた)、あるいは降伏文書に調印して発効した日などといろいろな解釈が成り立つ。

私が言いたかったのは、こんな些細なことでも、歴史というのはいろいろな解釈が成り立つのでややこしいし、ロシアが北方領土を戦後に占領した土地ではなく、戦争でとった土地なのだと言い張る根拠に使うのだろうから、彼らは別の日を終戦の日としているだろう。

ただ、このような思い込みは、それだけ玉音放送が鮮烈だったし、それを聞いた人が「これで戦争が終わった」とほっとした要素が大きかったともいえる。

さて、この手の思い込み、思い込ませについて、戦後のアメリカは、上手に日本人を洗脳し続けてきた。中国などは洗脳が下手だから、日本人に嫌われるというようなメッセージをいただいた。続いて、アメリカ軍の日本人捕虜への扱いについてもメッセージをいただいた。

戦争中、占領中のアメリカについては、評価が難しい。当時は、アメリカのもっともいい時代だという人もいる。非常にリベラルで理想主義で、かつものすごい累進課税で貧富の差もなくて、そのおかげで中流が増えて製造業は内需だけでも絶好調だったという社会である。(そうはいっても、無差別爆撃も原爆投下も黒人差別も続けていた。要するにかつてのローマ帝国のように白人たちだけのパラダイスだったのかもしれない)

共産主義のソ連が、独裁で、大虐殺を重ねていたのとは偉い違いだったようだ。

アメリカのGHQで日本の憲法を作ったり、戦後政策を考えた人間は、レベルの高い人間はろくにいなかったようだが、幼稚かもしれないが理想主義者が多かった。その遺物が日本国憲法である。

だから、当時のアメリカの捕虜の扱いが意外によかったことも十分あり得る話ではある。

ただ、いっぽうで日本人を洗脳したいという意識も強かっただろう。自爆テロの元祖のような特攻をやらかす国だったのだから。

当時から精神分析を含めて、心理学の研究は進んでいたし、そういう心理学者にとっては、実験の場だったのかもしれない。日本での世論操作に成功し、学生や左翼以外は、ものの見事に親米化させたアメリカは、その後もこの技術で南米諸国を籠絡させていく。独立させては親米国家にしていくのだ。

それがある時期から軍事的に中南米を抑えようとするにいたり、現在では、チャベスやルーラ、あるいは医者を送るカストロなどに中南米がほとんど牛耳られるようになってしまった。

洗脳や情報操作の技術も相当落ちていると考えないといけないが、日本人はおめでたいのか、そのレベルの低い情報操作にいまだに乗っかっているということになる。

で、そのメッセージの主は、日本には洗脳技術も情報操作能力もないことを嘆いていた。

実は、日本のほうがアメリカより情報操作の先輩と言っていい。

陸軍中野学校はスパイであるだけでなく、東南アジアの情報操作をものの見事に行った。(偽札を作って現地をインフレにして、反政府感情を高めることまでやっている)

日本軍がスムーズにシンガポールまで抑えられたのは、そのためだと言われている。

中野学校の残党も実は、日本のために活躍した。彼らの一部は、日本の総合商社で働き、アジア諸国で日本製品のファンを作り、また贈収賄のテクニックももち、次々と日本のため仕事をとったらしい。

もう一つ、そのやり方を見事にぱくったのが北朝鮮だという。

そのため、日本人が逆洗脳を受けて、北朝鮮を地上の楽園と信じた時期があったし、韓国より北朝鮮のほうがいい国で、韓国は軍事独裁国家と信じた人が多かった。

拉致問題で日本人は北朝鮮の洗脳が解けたように思っているかもしれないが、事件後に民団系の資金源であるサラ金業はコテンパンにつぶされたが、総連系の資金源であるパチンコ屋は税務調査もろくに入らないし、テレビの大スポンサーとして君臨している。拉致被害者でさえ、パチンコ屋の金が北朝鮮に流れていないか調べてくれという人は皆無だ。産経新聞でさえ、それを書かないのである。(私は正論欄でそれを書いたら、遊技業組合の偉い人から、法的手段も辞さずというような抗議文を受けたが)

日本には優秀な情報操作の技術者がいた。佐藤優氏などは、その研究者でもあるらしい。

なぜ、その伝統を絶やすのか?なぜ逆におめでたくアメリカや北朝鮮の情報操作に乗るのか?なぜ日本にもう一度インテリジェンスの機関を作ろうとしないのか?

戦争前の日本を美化する保守論陣の人たちは、軍備の再強化以上に、日本のインテリジェンスの歴史を振り返り、そちらの価値を再発見してほしい。