本日の産経新聞を読んでいたら、佐伯啓思氏が、8月15日は日本がボツダム宣言を受け入れた日なので、むしろ敗戦の日であって、戦争が終わったのは9月2日の戦艦ミズーリ―における降伏文書調印の日なのだということを書いていた。(もちろん、それでもその日を終戦記念日にする意義も書いているのだが)

歴史の解釈というのは、難しいものだと思った。日本が、9月2日を終戦の日とできない、してはいけない最大の理由は、それを認めてしまうと、北方領土が15日に、こちらがボツダム宣言を受諾したのに、その後に勝手に占領したと言えなくなってしまう事情もあるのだろう。

逆に、ソ連(ロシアに変わってからも同じだろう)の教科書には、千島を占領し終わるまで戦争が終わったと認めないような記載になっているのだろうなと想像する。韓国や中国が勝手な教科書を作るように、ソ連もロシアも勝手な教科書を作る。

現実には、千島で、ソ連は相当非道なことをしたようだが、中国や満州では、残留する日本人をおいて逃げ帰って見殺しにした関東軍が、なぜか千島ではソ連軍にそれなりに応戦していたそうだ。

もちろん竹島や尖閣列島を含め、領土というのは常に所有権を主張すべきものだ。それをやめた時点で相手のものになってしまう類のものだからだ。

ただ、日本人は、いまだに東西冷戦構造から脳が解放されていないらしく、ロシアや北朝鮮には厳しいが、アメリカには甘すぎる状態が治っていないのもなんとなくしっくりこない。

確かに、アメリカは沖縄を返してくれた。しかし、いまだにアメリカ軍の基地が我が物顔で存在し、アメリカの軍人が犯罪を起こしても日本の警察で取り調べもできない。前にも書いたが、それで4000人もの人がレイプ、強盗、殺人にあい、ひき逃げや交通事故は数え切れないほどだという。これで返してもらったことになるのかと疑問は大きい。確かに返してもらったから、駐留経費を日本でもたなければいけなくなったのだが。ついでに言うと、日米安保のおかげで、平和がタダ乗りだったというが、ソ連を余計に意固地にした可能性はある。あんな条約があれば千島にいつ米軍基地を作られても仕方がないのだから、返すことなどできるはずがない。

もちろん、当時のソ連軍は相当非道なことをしたようだし、略奪やレイプも当たり前の侵攻をしてきた。シベリア抑留を含めて許されるべきではない。

ただ、韓国や中国がいつまでも根にもってうっとうしいと思うかもしれないが、日本があれだけの無差別攻撃や挙句の果てに市民を何十万も使って原爆の実験までされて(防空壕に市民が入るとたくさん殺せないので、広島の街を通り過ぎた後で、急旋回したことまで明らかになっている)、ホイホイと許すほうが、おめでたすぎる気がする。

拉致問題のようなしつこい恨みは、自分よりものすごく弱い国にしかもてないとすれば、まさに卑怯であり、武士道精神にももとる(『国家の品格』的に読むとそういうことだ)。忠臣蔵にしても強いものに立ち向かうから美談であり、吉良上野介のほうがずっと弱い小藩だったら、あんなものは美談になどなりはしない。

ただ、私は大人げないと思われるかもしれないが、拉致問題の時と同じような怒りを非人道的な原爆投下や市民無差別爆撃にも向けるべきだと考えてしまう。

アメリカには世話になっているから恨むべきでないというのなら、世話にならないで済むように自衛力を増すくらいのたんかが切れるようにならないといけない。

貿易については、ビジネスである。北朝鮮からは何も買う必要はないかもしれないが、いくらロシアやソ連が嫌いでもキャビアがどうしても食いたければそれを買うだろう。韓国や中国だって、反日とかいいながら、日本製品をありがたがる。ただ、恨みをもたれるということは、こちらの商品の優位性がなくなった時点で、日本が北朝鮮にとっているような態度をとられるということでもある。

だから、何度も言うが、日本に必要なのは賃下げやコストカットでなく、労働力に金をかけ、教育にも金をかけて優位性のある商品を作り続けることなのだ。

わざわざ外国に工場を移すなど、日本の労働力の優位性がないと言いふらしているようなものだということが日本の経営者にはわからないのだろうか?

メルセデスだって、Sクラスは外国では作らない。スペインやブラジルやアメリカで作っているのは安もののベンツばかりだ。ポルシェだって、BMWだって同じだろう。

話はそれたが、ひどいことをしたのは北朝鮮やソ連だけではない。アメリカのほうがはるかにひどいことをしているのに、あまりに素直すぎる。アメリカが今や落ち目の弱い国なら、それほど後味が悪くないのだが、強い国に対してだけ素直というのは、日本人としてしっくりこない。

もちろん、負けた戦争を美化するつもりは私にはまったくない。極東軍事裁判はペテンだが、A級戦犯の多くは日本人に対する責任で裁かれるべきだったはずだ。

終戦というとどうしても感情的になってしまう。

ただ、8月15日が終戦記念日ではなく、敗戦記念日だったというのは、50年も生きて新たな発見だった。