中学時代に勉強もスポーツもできたという方から、高校で勉強のほうを選んで今では医学部合格を狙える成績にいるが、そのスポーツで自分と同じレベル、あるいは下のレベルにいた人間がスポーツの強い学校に入って全国大会に出ている人間を妬んでしまうし、気持ちの整理がつかないというメッセージをいただいた。

私がこのメッセージについて言えることは二つくらいしかない。

一つは、ではスポーツを選べば後悔しなかったかということである。

スポーツを選んで全国大会に出ることができて、場合によっては全国優勝までしたとしても、大学はスポーツ推薦で名前のある大学に入れたかもしれないが医者となると結構難しい(とはいえ、私の同級生で日体大出身で体を壊して勉強しなおして東大の医学部に入ったという兵もいるが)。やはり医学部に入った人間に嫉妬を感じてしまうということもあり得るだろう。若いころのスポーツというのは美しいが、将来ということを考えた際に、一部の超一流のプロ選手を除くと、その間に勉強をしていた人間と比べるとかなり失うものも大きい。プロ野球や相撲のような世界でも、一流になれないまま引退した人の将来はかなりわびしい人をたくさん知っている。景気が悪くなるとなおのことそうだろう。しかし、スポーツの指導者などで、そういう本当のことを教えてくれる人は、そのスポーツを志す人が減ることもあって、ほとんどいないだろう。

スポーツを選んでも後悔した可能性があるのなら、現実的には今の生き方のほうが正解かもしれない。

二つ目は、今気持ちの整理をつける必要があるのかということだ。

医学部に入ったり、医者になったりして、それなりに楽しい思いをしたり、自分の生きがいや仕事のやりがいを見出してから、そのときにあのときの選択のどちらがよかったかを考えたって遅くない。

高校生で人生の選択に自信をもつほうがかえって不気味だ。

みんな悩んで大きくなったというコピーがあるが、悩まないほうが人間の成長はパッとしないことが多い。

さて、本日の一面で、止まらぬ円高と株安に菅政権の無能ぶりが問題になっていた。

しかし、私に言わせたら、前のブログでも書いたように、円高にビビり続ける外需依存構造が、円高=株安の連鎖を生んでいるし、円高のときにキャシュフローが豊かな会社が、外国の会社を買うなど、積極投資ができない状況が日本人として情けない。

たまたま、本日はテレビ番組の事前取材をやっていたが、日本人のおかしなところは何かという話で、私がもっともおかしいと思う点は、外国にどう思われるかをやたらに気にする国民性のくせに、貧困問題をなんとも思っていないのが不思議と言った。

前にもふれたことだが、外国の人間がその国を豊かな国かどうかを判断するのは、その国の庶民の生活と貧困層の有無だ。その国の金持ちがいくら豊かな暮らしをしていても、豊かな国と見ないのは北朝鮮を見れば明らかだ。

アメリカのような国でさえ、貧困層の存在を簡単に見えないようにカムフラージュしている。

だから、カトリーヌのときに、まだアメリカにこんなに貧しい人がいたのかに衝撃を受けるアメリカ人が多数いたのだ。

たとえば、物乞いがいる国をみると、この国は貧しい国なのだと見られてしまう。

アメリカがホームレスに厳しいのもそのためだ。

日本だって、昔は乞食が街にはごろごろいた。

それをやっと見なくなったと思えば、今ではビニールシートと段ボールの家が都市では当たり前に見られる。

これは実は日本の恥なのだ。

もちろん、それをしている人が恥なのでなく、それを放っておく政府や、寄付をしない金持ちの恥である。

日本人は何かにつけて、外国に嫌われないための外交のようなことをうやっているし、児童ポルノ問題などにしても子供の人権のためより、外国に恥ずかしいということが原動力になっているような国だが、もっと恥ずかしいことを平気でやっていることに気づくべきだ。いくら高級なスーツとネクタイをしても、下半身丸出しのようなことはいい加減にやめてほしい。

税金は下半身を隠すのにもう少し使ったらどうなのだろうか?