本日は、優秀な方の書いたブログを紹介していただいた。

http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51654318.html

この方の書いていることは、私の知る限りでも真実に近い。

私自身も自分の知的機能の発達や負けん気の強い性格に大きな影響を与えたのが中学受験だったということは疑いをもたない。そして幸運なことに私はその勝ち組だった。模試で西日本で一番をとったこともあるし、灘中にも5番で合格した。

まさに栄光の日々である。娘もそれほどいい成績とは思えないが、とりあえず中学受験の際には二人とも第一志望に合格した(下の子は実はもっと行きたかった学校があるようだが)

こんな私が中学受験を悪く書くはずがないと思うかもしれないが、中学受験にも問題はないことはない。

一つは、その時点で頭がよくないととくに難関校では合格の可能性がかなり低くなってしまうことがある。

要するに、小学生くらいだと知能の発達がまちまちなのだし、月齢によっても、脳の発達にも差があるが、ある程度のレベルに達していないと努力だけではどうしようもないものがある。バカでも工夫と努力で東大には入れるが、バカで開成や灘や桜蔭に入るのはほとんどあり得ない。(その後、バカになる人はけっこういるのだが)

そういう点で、中学受験に成功した人間だけが勝ち組とみなす考え方はかなりまずいと思う。私が勉強法の本を当初大学受験生向けに書いたのは、そういう意味がある。(ただ、大学受験の場合は、バカでも受かる代わりに、これまでの努力の蓄積の差が、中学受験より大きくなってしまうので、それを埋めるのに時間がかかるという問題はある)

二つ目は、親が熱心になりすぎることだ。大学受験と違って親がかかわることで合否に大きな影響がある分だけ親がエキサイトしすぎる。親も子供も中学受験に落ちるとがっくりし過ぎるし、受かると喜びすぎる。大学受験はゴールとは言わないが、中学受験はもっと中間地点に過ぎない。

三つ目は、大学受験と比べて、本人の勉強に対する工夫の必要性が少なく、また受身の勉強になりやすいことがある。要するに中学受験の場合は塾の言った通りの勉強で受かるかどうかが決まるが、大学受験の場合は、志望校の選定から受験科目の選択、あるいはどの科目でどれだけ点をとって合格最低点に到達するかなど、自分で戦術を立てることの可能性が大きい。もちろん大学受験の時でさえ、教師や塾や予備校の言いなりになって、かつ東大などに合格する人がいるが、ここでの勉強法の工夫や自己の能力特性、相手の入試問題の分析などの体験は、かなり重要な経験になる。

そういう点で、私は意外に大学入試が肝になると思っている。

ただ、日本の大学や大学院が、賢い人間をバカにしているという考え方は同感だ。

文章を読んでいても、この藤沢数希さんという人の頭の良さを痛感させられる。

さて、同じく英語の効率的な勉強法の質問もきた。

確かに鈍くさいやり方では英語は伸びない。

私が勧めるのは、英単語より英短文の暗記であり、あとはひたすら読むことだ。

でも、英語は努力なしにはそんなには伸びないし、努力していたら多少鈍くさくても伸びる。

悲しいことに私の下の娘はそれがどうしても理解できないようだ。