プロ野球のセリーグは多少ヤクルトが頑張っているものの、3強3弱の様相が強まっている。わがカープにしてもマエケンまで打ち込まれたのではどうしようもない。

これがこの1年のことならまだしも、10年ほど続いている事態は異常だ。

確かに阪神が球団経営に金をかけるようになって、強くなったのは巨人の独占を許さなくなったという意味で好ましい現象なのかもしれないが、金まみれの自由競争になったので、東名阪の3大都市の独占状態になっている。

地方球団が群雄割拠しているパリーグと比べてずっと面白くない。しかし、テレビのキー局が東京に集中しているうえ、たまに全国ネットを作る大坂や名古屋も地方の痛みはわからない。

まさに日本の現状をそのまま表している。

一見、野球が面白くなったように見えて、大都市独占の状況が変わっていないことはもっと多くの人にわかってほしい。

ただ、野球でも同じことだが、人間(日本人なのかもしれないが)というのはしょっちゅう見ているものを好きになる習性があるらしい。

地方を無視し、東京独占の権化のような巨人が、地方では巨人戦しか中継されないこともあって、どこにいっても、地方では大人気である。

もちろん、地方で巨人戦しか中継しないと言っても、相手のチームも映っている。江夏や平松や星野が巨人を倒す姿をかっこいいとは思わずに、しょっちゅう見ている巨人が自分の味方と思ってしまうのが地方人の悲しい習性なのか、あるいは、人間の習性なのかはわからない。

あるいは、大人のようにものがわかるようになってくると、しょっちゅう見ているだけで、そのまま好きになるというような幼稚なことはしないが、認知的に幼稚な子供時代なら、そのような刷り込みで、すぐにファンになってしまうのかもしれない。

だとすると、今はいい大人までが、テレビにしょっちゅう出る政治家を簡単に好きになってしまうのは認知的な幼児化といえるかもしれない。

そうでなくても、地方にいくと痛感するがテレビに出ている人を偉い人と思うところがあるようだ。講演会では本を年に40冊出しているということより、どんなテレビ番組に出ているかが紹介の中心になる。

テレビに出なくなると格が一つ落ちたような扱いになる。

これがいつもジャイアンツを見ていると、敵にいい選手がいても、しょっちゅう見ている心理と同じくらい露出の多いもの勝ちということであれば、いい年こいた大人が、ジャイアンツの帽子をかぶっているうちにジャイアンツにまつわる刷り込みが強くなるのとまったく同じメカニズムになっている、いい年こいて、判断基準が子供と同じということを意味する。

この認知的幼児化を食い止めないと、東京主導、東京のテレビ局にこびた政治は終わらない。

実は、本日、大川市の夏祭りというのにいったら、市長が落ちこぼれに対してかなり密な対応をすることで数学日本一の街になる計画をしていたことを知った。

こういう地道な努力のほうが、なんでも東京にこびるよりよほどいい。

市民が、バカな東京のマスコミより、市長のほうを信じてくれるとありがたいのだが。

でも、この数学日本一を応援したい。