なんか芸能人の結婚式の話一色で、胸糞が悪い。ワイフにも「見ないとか言ってみてるじゃん」と文句をいうと、たまたまついていただけだといってチャンネルは変えるが、そのあときつい言葉をうける。

「ひがんでるんでしょ」

その通りである。最近、落ち目なので余計にひがむのだろう。

日本でもっとも影響力を持つ人物はたけしというアンケート結果が出ていたが、金が儲からないのはともかくとして、もう少し影響力をもちたい。

知り合いがずいぶん結婚式に出ていたようだが、呼ばれないことでひがむ以上に、呼ばれたとしてもひがむ自分が情けない。

秋葉原の連続殺傷事件で、被告が親の虐待の経験を語っているらしい。

ただ、母親が、自分が行き過ぎていたという告白を同じ公判でしていて、その中でやった「ひどいこと」と被告の口から出てくる虐待があまりに一致している。

弁護士が口裏を合わせたような印象がどうしても拭えない。

ただ、虐待がトラウマとなるだけでなく、たび重なる虐待がボーダーラインと呼ばれるパーソナリティ障害の原因になるという説はやはり根強い。最近になって、育て方より、ある種の発達障害なのだという説も出ているが、やはり育て方の悪影響はかなりの高い確率であるだろう。

それを考えると、秋葉原の事件がこのような過去がわかったからといって、死刑判決は変わらないだろうが、現在進行形の虐待のほうが何とかしなければならない。

最近発表された2009年の虐待の報告件数が過去最高の記録を塗り替えて、4万4000件を超えたそうだが、虐待親の罪が軽すぎるし(二人くらい殺しても死刑になった人間すらいない)。

うちの子供たちは、虐待をした親は同じ目にあうという刑を作ればいいと言っていたが、これはいいアイディアだ。

背中にライターのオイルをつけて火をつけるようなクソ親には同じ刑で当然だ。飯を1カ月食べさせないなら同じ目に遭わせる。たまたま死んでもこれは死刑と違って、同じ目にあわせただけの話である。

ただ、罪を重くするだけで解決する問題ではない。

問題は虐待を受けた子供たちを、どう救うかである。

育てる能力と意欲のない親に育てられる子供は悲惨そのものだし、その後の知的、肉体的、精神的発達にも支障をきたす。そうでなくても、子供が少ないのに、まともな職につき、社会保障料や税金を払えるようになる確率は低く、逆に税金で面倒をみたり、刑務所に入る可能性が高くなる。

アメリカだと、きちんと育てることを証明しないと返してもらえないのに、日本だとよほどのことがない限り、簡単に親元に帰し、ひどい場合は殺されるし、そうでなくても、前述のような転帰をたどる。

拉致事件で唯一評価できるのは、被害者を厚遇する前例を作ったことだ。毎月の生活費(私が聞いた限りかなりの高額)も出ているらしいが、ひどい目にあったのだから、アファーマティブアクションのようなことがあっていい。

ならば、虐待された子供も親元に帰さず、全寮制で温かいケアを最高の教育を受けさせたらどうだ。

彼らの受験の世話くらい、私や緑鐡のスタッフがある程度ならボランティアでやってもいいくらいだ。

4万人(おそらく実数は40万人)がまともな労働力(場合によっては知的労働力)になるのと、犯罪予備軍になるのでは大きな違いだ。

親に育てられるのが一番という幻想は捨てざるをえない時代がきているのだという認識はしっかりもたないといけない。

さて、秋葉原の被告に話を戻そう。

弁護士が口裏を合わせたものとはいえ、多少虐待的な環境にあったのは事実かもしれないし、被告が親を恨んでいるのも事実かもしれない。

事件を起こすまでは、自分の話などほとんどの人が利いてくれない無視された存在だったのに、今なら、親であれ、社会であれ、恨みを離せば、全部新聞に載る。

結婚式で自己顕示が果たせないような弱者が、こういうことを学習しないように願いたい