「マスコミが、大阪だけにお笑い100万票とレッテルを貼ることに納得できません。今回100万票もないのに、どうしてそんなもの存在しなかったと訂正しないのでしょうか。」

という怒りのメッセージをいただいた。

実際、私も別の人から、街の声を聞くときに、東京だと丸の内で聞いたり、新橋の夜のサラリーマンに聞いたり、場合によっては巣鴨のお年寄りに聞くのに、大阪だと判で押したように、道頓堀の橋の前で街の声を聞く。そうやって大阪人のゆがめたイメージを作っているということを聞いたことがある。

実際には、お笑いではないものの、タレント議員が171万票もとったのは、むしろ東京である。

学歴といい、キャリアといい、そんなに大したことはないが、事業仕分けで、現実にはわずかの金額しか浮かすことができなかったが、パフォーマンスがよくできていたことが評価された。

東京の人間の喜ぶ政治家とはそういう人なのだろう。もちろん、お金を浮かすことが第一義だから、地方への配慮などさらさらないし、また、知的レベルも大したことがないから、日本の先端研究などに金を使う必要がないと言わんばかりの発言をして、知識層から怒りを買っていたが、それでもこれだけの票を東京の人間は与えるのである。

私も東京に出てきて30年以上になるが、いまだに自分が東京の人間という気がしない。やはり地方出身者というのがアイデンティティとなってしまう。

しかし、東京にきて1年やそこらで地理になれて、方言をしゃべらなくなったら東京の人間になったと思う人もいる。

実は、私は大阪の人間の悪いところで、いわゆる「田舎者」が嫌いである。

世間では大阪というと、人情味があるとか、お笑いが好きだとか、ど根性とかいうイメージがあるが、大阪の人間は、よそものに冷たいし、お笑い芸人の成功者の多くはむしろ地方出身者が大阪で成功した人が多い。(今はだいぶ違ってきているようだが)あるいは、ど根性というのも、通常は地方出身者のものだ。ど根性ドラマをよくみてもらうとわかるが、ど根性を出すのは、地方出身の丁稚で、大阪の人間はそれをいじめる番頭や、主人の家の人間である。

大阪は人情がない、排他的な人が意外に多い。(もちろん、大阪にも温かい庶民がたくさんいる。私の印象では、大阪のほうが街が古い分だけ、身分社会に近い気がする)

ただ、私のいう田舎者というのは、どこの出身かということで区切るものではない。

地元に誇りが持てない人間が田舎者である。

たとえば、

・東京にきてすぐに方言を直す奴(実は私もそう思われているようだ。たまたま小学校のころの転校が多かったためのバイリンガルなのだが)。

・東京のマスコミの言いなりになる奴。

・テレビに出ている人間をえらいと思う奴

・自分も地方出身者のくせに地方のことをバカにする奴。

・ちょっと成功すると、あるいは有名になったり、社会的地位が高くなると威張る奴。

・拝金論者。成金。

・金があるのにカッコよく使えない奴。世襲にこだわってケチケチと財産をためる奴(いかにも農耕民族のようで嫌だ)。寄付をしない金持ち

世間の定義とは違うかもしれないが、私はそういう連中を田舎者だと思っている。

私が広島が好きなのは、カープファンということがあるが、彼らは東京にきてもカープを応援するし、広島弁も直さない。

福岡出身の人たちも似たようなところがある。

大阪も名古屋もそうかもしれない。

実は、水戸の人間も東京にきてことばを直さない。「ダッペ」というのは水戸の方言だが、東北の人たちは東京にくるとすぐにことばを直すので、東北弁と勘違いされている。

こういうのは、すべて私から見ると、都会人とは言わないが、なんとなく敬意を払いたくなる。逆に、前述のような人と会うと、(たとえば、ちょっと社会的地位が高いからといってえらそうにする奴の前では)腹の中では「この田舎者」とバカにしている(表面上はぺこぺこするのは私も田舎者だからだろうか?)

何が言いたいかというと、私は人から田舎者と思われたくないし、自分もそうなりたくないので、前述の定義にあてはまらないような生き方をしたいと思うということだ。自戒の念をこめて田舎者をバカにするようにしているのだ。

東京のマスコミの田舎者たちは偉そうにするな。