愛知県と言うと、公教育がうまくいっている県として知られている。

公立学校から東大、京大の合格者数はここしばらくはトップを誇り、少年非行率は全国でもっとも少ないグループに位置づけられる。トップレベルの学生が東大、京大に進学できるだけでなく、高卒レベルの学力や知的レベル、努力をしっかりしてくれるレベルとかが高いために、愛知県はトヨタをはじめ、製造業が盛んであり、またそのクオリティはとても高いことで知られている。

そのせいか、ヤクザまで知的レベルが高いようで、もともとは関西のヤクザだった山口組も名古屋の弘道会に乗っ取られてしまった。彼らは警察情報をつかむのがうまく独自のインテリジェンス組織をもっているとさえ言われている。

よく引き合いに出されるのは広島県だ。最近になって、公教育の立て直しに力を入れ、大学の進学実績も上がり、学校もおちついたとされるが、ゆとり教育のスポークスマンとして知られる寺脇研氏が教育長時代、県内の公立高校全部を合わせて、東大と京大の合格者数を合わせて5人、少年非行率も日本でトップレベルだったそうだ。

教育レベルの差が、マツダとトヨタの差になっているという話も聞いたことがある。カープファンとしては悔しい話だが、納得させられた気がする。

親が貧乏な時に、広島で生まれるのと愛知で生まれるのでは将来の可能性にえらい違いだと痛感したこともある。金持ちであれば、中流以上であれば、広島には多くの私立や国立の選択肢があるからだ。

しかし、いっぽうで愛知県の教育はとても悪名高い。

とにかくひどい管理教育で、勉強のできない人間を人間扱いしなかったり、90年代くらいまでは、生徒を殴る教育が平気で行われていたという。校則の厳しさも天下一品だ。

私が親しくしていて(最近はほとんど会っていないが)、信頼するジャーナリストに藤井誠二さんという人がいる。私より5歳若く、愛知県の管理教育の糾弾することで文筆家デビューしたが、実際は愛知県の公立学校でなく、東海高校という名門私立校の卒業とのことだ。

東海高校は比較的リベラルな学校とも聞いているが、それは公立高校と比べての相対的なものかもしれない。

その藤井さんも、昔は不良や暴れる子供の味方といった感じの文章を書いていたが、少年犯罪の被害者の話を聞くうちに、厳罰化しかないということに目覚めたとのことだ。その前から、なぜか気が合う(と私が勝手に思っているだけかもしれないが)のだったが、その後は、ますます人間性も含めて信じられるジャーナリストの一人として今も敬意を払っている。

ただ、少年犯罪厳罰化論に変わってからでも、やはり愛知の管理教育はひどいとおっしゃっていた。そのルサンチマンはまだ残っているようだった。

で、久しぶりに愛知の管理教育に激しいルサンチマンをぶつけた本をみつけた。

河本敏浩さんという方が書かれた『名ばかり大学生』という本だ。

冒頭部分では、今の大学生の学力の低さやそれでも入学できたり、卒業できたりする現状を憂う学力低下本の一つだと思って読んでいた。

しかし中盤からは、競争をさせたり、管理教育をすると負け組部分の学力がいかに落ち、いかに人間性を傷つけ、いかに戦う気力を奪うかが、説得力をもって綴られる。

競争や試験を是認する人は、勝者だけだとか、学力低下の原因がゆとりのせいで、もっと締めつけろというのは、学歴競争に勝ち残った者だけだと断言する。

そのほか、生徒の不良化や援助交際まで、管理教育と受験競争のせいだと断言する。

私のブログの読者の中には、自分が学歴競争では負けたが、いまのゆとり教育を危惧されている方や、子供にもう一度、よりよい受験勉強法でチャレンジさせたいという方はたくさんいる。(メッセージをくれた方だけでもの話だが)

逆に受験の勝者の学者たちが、今回のゆとり教育の旗振りをやり、自分たちがよいポジションにありながら、かつての勉強をありがたがらない人もたくさんいる。

人はそれぞれなところが面白いと思う。

今は知らないが、90年代までは愛知県では教師が生徒を殴ることが珍しくなかったそうだ。

結果的に今もトラウマに苦しむ人が多いそうだ。

トラウマというのは結局主観的なものだ。

エリクソンの行ったネイティブアメリカンの研究でも、ものすごい甘やかしの部族でも、平気で子供を殴ったり、それこそ谷底に突き落とすような部族でも、意外に子供のメンタルヘルスはおかしくならないそうだ。おかしくなるのは、白人が入ってきて、そんな子育てだと子供がおかしくなると非難された祭だという。親は子育てに自信をなくすし、子供も自分が受けたのは虐待だと思ってしまう。

反論したいことはいくらでもあるが、ただ、その本を読んで痛感するのは、この著者のパワーと知性である。

久しぶりに、本格的に、子供の競争や管理教育にまっこうから反発する論陣を張っている。多くの日和った東大教授たちとは一線を画するものだ。

教師や大人がへらへらしていても、子供には反抗心が、あるいは思春期の子供たちが反抗心がなかなか生まれてこないが、管理教育をやるような人間のもとでは、藤井さんやこの河本さんのような人が出てくる。

そして、知的レベルも立派なものだ。

管理教育を批判者をみて、逆に管理教育も捨てたものではないと思うのは、河本さんが言うように、私が学歴勝ち組だからだろうか?