本日はPCで意味不明の事件が次々と起こっている。

作ったデータを、自分の別のPCに送ろうとメールをしたら、その間に.docが..docという形で.が余計に一つ入るので、開かないデータに化けてしまう。

原稿を書いていたら、ワードの字数と行数の表示ができなくなってしまう。この時代に、手で行数を数えて入稿する羽目になってしまった。

これが買って数カ月の新しいPCなのだから、愕然とする。NECがあてにならないのか、Microsoftがダメなのか?もちろんWindows7もOfficeの2007も純正のものでさる。

安定して当たり前に使うことができるようにPCがなるのはいつの日なのか?くだらないセキュリティのことで、変えるたびに使いにくくするより、基本性能をまともにするという発想がどうしてもてないのか?

ニュースというのは相撲でもちきりで、選挙すらかすんでいる。マニフェストなどなくていいと昨日の情報番組では各党がいかにマニフェストと言わなくなったかを論じていたが、それでは何をもって政党を選べと言うのか?

消費税を上げて法人税を下げるのにNOであることに意思表示をするには、前にも述べたように共産党に票が集まるところを見せて政治家をびびらせるしかないが、そういう知恵が国民に広がらず、共産党アレルギーがある限り、金持ちは好き放題だ。

現実に、会社に腹を立てた人間が死刑覚悟でヤケクソを起こした場合も、経営者にテロをやるのでなく、末端の従業員が犠牲になる。

もちろん、そんなことはいいことではないが、ヨーロッパや南米では、貧富の差が拡大したり、会社がひどいことをやると、経営者がテロにあったり、誘拐にあうのが通常だった。

そのせいかどうかわからないが、こういう国の経営者はきちんと寄付をするし、あまり無茶な経営をしない。クビにしやすいように失業手当を充実させるなど、大衆の怒りに対するヘッジもうまい。

しかし、日本では大衆が怒っても、どうせ大衆同士で足の引っ張り合いをやるし、バカがヤケクソを起こしても、犠牲者は自分たちでないと経営者や、「上流」の人たちはタカをくくっている。

選挙であれ、テロであれ、ケンカの仕方を大衆が知らなさすぎる。

ネットでも勝ち組の人が書かれて困ることがあまり表に出ない。

そして、私が金持ち批判をすると貧しい側の人から激しい中傷メールやメッセージが来る。「そんなことだとよけい景気が悪くなる」「そんなバカなことをいうから金持ちが逃げていく」と

前にも言ったが弱者というのは客観的なものでない。しかし、味方が集められない、同情もしてもらえないというのは、本当に力がもてない。

弱者だって力を集めれば圧力団体になる。テレビなどはすぐにそれに屈する。そして、その集める力など数百単位で足りるのだ。

格差社会のアメリカでも、結束力の強い団体は、弱者でも十分な政治力をもつ。

退職者の団体やアルツハイマーの団体だって、百万、一千万という数を集めるから、政治もいうことを聞かざるを得ない。

大衆が多少なりと、物質的にも精神的にも豊かになると、この国の経済もマインドも力も(購買力は資本主義の世の中では軍事力以上の力になる)少しはましになると信じている。

何が、弱者や大衆の結束する材料や契機になるのか?本心から疑問に思っている。

金持ちが牛耳っているテレビでないことだけは確かなようだが。