前にも書いたが、日本という国は、現在世界でもっとも弱者に厳しい国らしい。「自力で生活できない人を国が助ける必要がない」と答える人が世界でダントツのトップの38%ということだ(2位のアメリカより10%以上も高く、先進国のスタンダードは10%未満という)。

昔の日本はそんなことはなかったのではないだろうか?9割近い最高税率になる累進課税でも、嫌になると文句を言う人はいても、国を出ていってやると脅す人はいなかった。

プロ野球の世界でも巨人ばかりが優勝していると、戦力の均衡のためのドラフト制度を導入してあげようという声があがった。V9当時の巨人は、大リーグから選手を引っ張ってくるようなことをしなかった。在日とか台湾系の人はいても、日本で生まれ育った選手を集めて、そして強引な引き抜きなどせずにV9を誇った。それでも勝ちすぎは面白くなくするということでドラフトが導入された。おかげで万年Bクラス、ほとんどビリ同然の広島カープのような球団が一生懸命練習して、優勝できるようになったのだ。

ある時期から、日本人は弱者に冷たくなった。田舎の人のために都会の税金を使って赤字を埋める必要がないということで国鉄は民営化された。田舎のとくに高齢者の足が奪われても、東京のマスコミで、それが成功だったという声が一色で、失敗だったという話は聞いたことがない。

同じように田舎のチームが勝つのが面白くない東京や大阪のチームのごり押しで、しかも言うことをきかないと出ていくぞ(税金が高いと出ていくと脅す金持ちと同じ構図である)と脅して、逆指名だとかフリーエージェントという制度が採用されて、おそろしい戦力の不均衡ができた。

それでも、それが競争原理なのだということで、アメリカでさえ、ドラフトが完全ウエーバーだったり、豊かな球団が貧しい球団に金を払わないといけないシステムになっているのに、巨人に一回も勝てない田舎のチームがでてきても同乗の声は上がらない。

本当の意味での弱者というのは、ひどい仕打ちを受けたり、ハンディキャップがあるのに、それを世間が同情してくれたり、救いの手を差し伸べない人たちのことだろう。

拉致被害者にしても、昔は、一部の人が救いの手を差し伸べたが、マスコミも政府も積極的に救いの手を差し伸べることはなかった。この頃の拉致被害者は一定の発言はしていたとしても、弱者と言っていいだろう。しかし、現在では、相当の発言力をもち、一定の政治力も行使できている。

あるいは、昔は経ち歩きをする子供や、ルールを守れない子供は、しつけの悪い子ということにされたり、いじめの対象になったりしている。

しかし、現在では、ADHDやアスペルガーという病名をもち、患者さんのグループで団結して、学校がそれを叱ったりすると抗議運動をし、学校のほうが引きさがる状況になっているようだ。

私も以前、女性週刊誌でADHDの子供もしつけで治ることがあると書いたり、昔と比べてその割合がものすごく増えているのは、病気だけでなく、環境や養育の影響があると書いたら、団体名を出して激しい抗議を受けたり、病院にクビにしろという圧力をかけられたりした。ある少女の起こした事件についてコメントを頼まれて、「アスペルガーの疑いがある」と発言したら、矢のような抗議を受けて、結局その番組を下されたこともある。(最終的に鑑定結果はその少女はアスペルガーだったのだが)こういう人が弱者だと私には思えない。

私は、しかし、そのような障害者や病気を抱える人が団結するのは悪いことではないと思っている。

アメリカではアルツハイマーの団体がものすごい力をもっているから、研究費やケアについての予算も相当分捕ることができているが、日本では、200万人もアルツハイマーの人がいるのに、団結力が弱いから、施設やケアは慢性的に不足している。

保育園がなくて仕事ができない女性たちは約4万人くらいで、保育園の定員は240万人もあるのに、ものすごい政治力をもち、保育園の増設は社会的コンセンサスにも選挙公約にもなっている。

しかし、親や義理の親の介護のために仕事をやめている人は15万人もいて、施設はわずかに45万しか用意されていないのに、彼らに救いを差し伸べようとする声が上がらない。

要するに、同じように仕事ができない女性でも、保育園の入所待ちの人は相対的には強者であり、施設の入所待ちの人は相対的に弱者だと私には思える。

そういう点で広島カープは、これだけ制度でいじめられ、制度が変わらない限り、絶対優勝できない状況(今のケチな松田元オーナーが追い出され、球団のために金を出してやるという大スポンサーがでたらわからないが)なのに、同情の声や制度を変えないと不平等だという声が起きないから弱者のきわみだと私には思える。

サッカーにしても、貧乏国や、いつもは先進国に虐げられている国が、金持ち国に勝つから一瞬でも溜飲が下げられる。日本でも地方のチームが東京や大都会のチームに勝つから嬉しい気分になれる。

野球だけが金持ちのチームが貧乏チームをいじめて、地方の人間が反攻の声が上げられない。これは読売グループのすごい洗脳力の賜物だ。

私には、「やーい、貧乏人、お前らには俺たちに勝てないんだよ」と、外人を使って日本人をいじめているようにしか見えないのだが。

都会の人間は、地方の人と比べて収入も多いし、いろいろな娯楽もあるし、さまざまな面で恵まれているのだから、スポーツくらい負けてやってもいいとか、少なくとも戦力くらいは均衡にしてやろうと思えないのだろうか?

そういえば昔はカープファンの文化人、テレビ人も多かった。久米宏も筑紫哲也もそうだった。

民青に入る東大生がいなくなったように、勝ち組の文化人が弱小チームの応援はしなくなったという時代なのだろう。

こんな時代に私が受けないのもよくわかる。