本当にLAのリッツカールトンは最低のホテルである。

毎日がストレスになる。

本日も昼ご飯を食べて、少し買い物をしてきたら、部屋が片付いていない。3時30分にもなってどういうことなのだろう。

その後、フロントに電話をかけたら、"just hold on please"と言われて、5分も返答がない。その電話を切ってオペレーターからhousekeepingに電話をしてもらったら、すぐ来ると言って10分もこない。あげくまたフロントに電話をすると、すぐに行かせると言われて、また来ない。人を十分雇えないのなら、木賃宿と同じだ。アメリカの場合、安物のホテルでも部屋の広さはほとんど同じだから、(40ドルのモーテルだってそうだ)人のサービスで金をとっているはずなのに、人も雇わないで建物だけ立派なものを建てればリッツカールトンと名乗れるのなら、それが、そのホテルの「ブランド」だということだ。ニューヨークのマンダリンオリエンタルに泊ったときもそう感じたが、新しく立派なホテルと建ててもサービスが全然ついてこないことがある。しかし、私にはまったくそれが許せない。
おかげで昼寝ができなくて、非常にイライラしている。その上、待っている時間に最後の日は面倒だからホテルで食事を取ろうとしたら、その予約すらとれない。何のために泊っているのか本当にわからないホテルだ。

私もこんなことは言いたくない。というのは、日本のマスコミがあまりにほめるのが下手だと言いたかったからだ。確かに、おそらくは放送される店に金をもらって作るグルメ番組や、旅番組、あるいは、下手な芸をよいしょしたり、面白くない映画をベタほめしたりすることはある。

しかし、たとえば政治一つとってみても時の政権を批判すればするほど、結果的に官僚が得をする。

小泉首相のときは、なぜかマスコミが味方についた。なぜかはわからない。(おそらくは金持ちの味方の改革をやったからだろうが)テレビ受けがいいからだろうか?息子も受けている。

しかし、民主党政権をこてんぱんにやつけることで、民主党がほとんどの改革に手をつけられないようになっている(私自身、この問題は痛感していたが、これについても、波頭亮氏の『成熟日本への進路』に詳しい)。ときの政権をボロクソに言うのは痛快なのだろうが、おかげで政治が言い訳に終始して、結局何の改革にもならない。国民はそれをどう思うのかもおかまいなしだ。(もちろん、多くの国民はテレビと一緒になって政権党を叩くことで、憂さ晴らしをしているのだろうが、政治が弱いほど、金持ちや企業は横暴を働き、結果的に自分たちの首をしめることになるし、またその間にも官僚や天下り法人などによる無駄遣いも続いてしまう。)

小沢氏のパワーは、官僚を変えるのに使えば、それなりのものだったかもしれない、というより、ほかにそれだけ力をもつ政治家が見当たらない。しかし、官僚である検察からのリーク情報だけをマスコミがとりあげ、むしろ小沢氏に官僚と闘うことの怖さを教えたようだ。大マスコミにとってはありがたいことなのだろうが、小沢氏のかねてからの主張である記者クラブの廃止もうやむやになって、いくつかの省庁だけにとどまっている。(もちろん、記者クラブ制度は、大マスコミに有利になる代わりに、官僚に頭があがらないということと引き換えになっている)

もちろん、政権を批判するマスコミも必要だろう。しかし、すべての新聞とテレビが政権党の批判で一致するというのは逆の意味で大政翼賛会的だ。そして、唯一、民主党をかばったのは、日刊現代だというのもお笑いのような話だ。

私自身は、市場原理的な「改革」には、昔から反対の姿勢である。ここは波頭さんとは意見を異にする。

ただ、どんな「改革」でも試してみないと結果がわからないのも事実だ。だから、試してみて、結果が出ていない間は批判する気にはならない(と言いながら、筆がすべってよく批判するのが情けないが)

実は、私は、プロの評論家というのはほめる能力が必要なのだと気づいたのは、週刊朝日で映画評をやっていた時だ。

結構、思いのまま、言いたいことを書いていたのだが、あるとき編集者から、ときにはというか、半分以上はほめてくださいと言われた。

基本的には映画評というのは、それを見て見に行こうと決めるためのもので、見ないことを決めるために使う情報ではない。

書評だって、グルメ評だって、みんなそうだろう。

これはいいというものを自信をもって紹介するのが、プロの評論家というものだ。

だから、私もそのときから、なるべきたくさん試写会にいって、その中でいいものをなるべく取り上げるようにした。おそらく淀川長治さんだって、映画をほめてだけいたのでなく、ほめない映画については公共の電波や出版物に載せないようにしていただけだろう。ものすごい量の映画を見ていたから、ほめる映画だけを取り上げることができたのだ。彼をじかに知っている人に聞くと、相当辛辣だったという話もある。

私の書きものを見ていてもわかるように、批判は実は簡単だ。いいところを見つけるほうが実は難しい。

それ以上に、おいしい店をまずいと書いても、あの人は舌が肥えているからですむが、大しておいしくない店をおいしいとほめたら、「どうせ、金をもらっているんだろう?」とか、「あの人の舌も大したことないね」という話になってしまう。

物事というのは、批判的に論じていたほうが、自分の体裁が保たれるのである。

山本益博さんは、おいしいものを紹介する時には、ぜったいの自信をもって勧めてくれる。

ときに舌に合わないことがあっても、あのくらい自信をもって薦められると、私の舌のほうがおかしいとか、成熟していないのだろうと素直に思ってしまう。

これがプロなのだろう。

前と比べてけなさなくなったという人がいるが、おそらくは、けなすくらいなら紹介しないという風に考えを変えたのだと私には思える。

ということで、冒頭からリッツをけなしたが、そのくらい頭にきていたことでご了承いただきたい。

ただ、ハウスキーピングが遅く来たおかげで、昼寝を遅らせて今ブログを書き終えるというメリットもあったのだ。

ところで、Patinaというレストランで飲んだ、Lewis Cellars Cuvee Lという96%カベルネソービニオン、4%カベルネフランという新しいカルトワインは本当においしかった。

部屋に残りを持って帰って、二日間も寝酒にした(これもここのホテルのバーがふざけているせいだが)のだが、それでもおいしかった。

波頭さんの市場原理が好きになれないと書いたが、アメリカのワインはフレンチと違って、市場原理で確かにすごいのが次々とでてきているのも確かだ。