昨日のブログで、東大教授の批判をしたが、私としてはシステムの問題だと考えている。

要するに、今のように精神科の主任教授が一人しかいない現状で、その教授が20年以上居座ってしまうと、研究や教育が古いものになったり、習えることが限られてしまうことが問題だと考えたわけである。

たとえば、精神科の教授が4,5人いて、教育担当、研究担当、臨床担当、生物学的研究者、精神療法の専門家などが教授でいられて、対等なのであれば、多少の変人であっても、態度が横柄であっても研究は最高レベルというのなら十分教授の資質がある。慈恵医大なども、森田療法のメッカなのに、生物学派の主任教授が出てひどい話と思ったが、森田療法のトップも教授という形で遇することになった。一人しかいないから、その人が人格的に問題があったり、まともな礼儀がない人だといらないトラブルが起こるのだろう。

あと、優秀な論文を書く人、すごい研究をする人がいろいろな形で賞をもらうとか賞金をもらうのは好ましいことだが、その研究が20年間も光り輝くことは常識的にあり得ない。トップレベルで亡くなった時点でひいてもらえるようなシステムにしないと、それこそ老害になる。もちろん、教育とか精神療法のほうは年とともに円熟することはある。フロイトは83歳まで、その娘は86歳まで精神分析の研究を続けたし、そういう学者は数多くいる。歳できるのでなく、能力できれるシステムを大学の人事にも採用してほしい。

もちろん、東大教授というのは名誉な職業である。私だってしてくれるならタダでも引き受けるかもしれない(今はローンを抱えているので無理だが)。逆に言えば、安い金で優秀な研究者や教育者をひっぱってこれる便利なブランドなのだから、もっとこれを乱発したほうが東大のためにも、日本のためにもなる。私のいう名誉というインセンティブシステムの最たるものだ。それを教授会で私物化しているのがもったいない。

東大の経営委員会のようなものが、教授会の頭越しに(教授同士で教授を選ぶと、自分を追い越しそうにないできの悪い人間を教授に選ぶ傾向があるらしい。東大はそうでないと信じているが)優秀な人材をスカウトすれば東大ももっとましな学校になるだろうし、国際競争力もつくだろう。本来は独立法人化した際に、教授の人数だってある程度自由に増やせるようになったし、経営委員会のようなものができたのに、少なくとも医学部ではそれが機能しているように思えない。国際的な名医で、はるかに年収の多い人間だって、東大教授の肩書をあげるといえば、国家公務員並の年収で集められる。研究者だってそうだろう。中村修二のような東大批判派の外国に平気で技術を売る人間だって、東大教授にしてやると言えば、ついてくる可能性は十分あるように思うが。

ひどい教授がいるから東大を廃校にせよという過激なメッセージをもらったが、ブランド力というのは大切なものだ。むしろ日本の企業が合併するたびにころころとブランド名を変えるのは欧米では考えられないことのようだ。たとえば、シェラトンとウエスティンガ合併しても、そのおのおののブランドは残す。新しい名前を浸透させるコストを考えるとそのほうが合理的だからだ。

よきにつけ、悪しきにつけ東大は、日本の中ではかなり有力なブランドだ。現実にそのブランドイメージを手に入れようとして多くの高校生が勉強したから、日本全体の学力の底上げにつながった。ここが凋落すると日本の学力も下がった。これをもっと利用すれば、スポーツだって強くなるかもしれない。極論をすれば、東大が体育学部を作れば、野球だってサッカーだって優秀選手を集め放題になり得るのだから。

そのほうが、日本のスポーツ発展に寄与するなら、それに使ったっていいくらいだ。

知的所有権というと、特許などの技術に関するものだけでない。日本人は自分たちのブランド力に気づいていないから、すぐ安売り競争に参加して、従業員をどんどん貧しくして、景気を悪くしている。

東大もブランド力を十分活かしているとは言えない。たとえば、アジアの優秀な留学生にどんどん東大が博士号を出していたら、相当優秀な学生を集めることができたのに、旧来の慣習で、博士号を出し惜しんだから、優秀な学生をみんなアメリカに取られてしまった。

戦前の優秀な学生を東京帝大や京都帝大が集めて、のちのち中国や台湾のビッグネームになったのと比べてもったいない(もちろん、そういう人を有効活用できなかったのももったいないが)

東大ブランドをもっと賢く使えないものなのだろうか?
った。ここが凋落すると日本の学力も下がった。これをもっと利用すれば、スポーツだって強くなるかもしれない。極論をすれば、東大が体育学部を作れば、野球だってサッカーだって優秀選手を集め放題になり得るのだから。

そのほうが、日本のスポーツ発展に寄与するなら、それに使ったっていいくらいだ。

知的所有権というと、特許などの技術に関するものだけでない。日本人は自分たちのブランド力に気づいていないから、すぐ安売り競争に参加して、従業員をどんどん貧しくして、景気を悪くしている。

東大もブランド力を十分活かしているとは言えない。たとえば、アジアの優秀な留学生にどんどん東大が博士号を出していたら、相当優秀な学生を集めることができたのに、旧来の慣習で、博士号を出し惜しんだから、優秀な学生をみんなアメリカに取られてしまった。

戦前の優秀な学生を東京帝大や京都帝大が集めて、のちのち中国や台湾のビッグネームになったのと比べてもったいない(もちろん、そういう人を有効活用できなかったのももったいないが)

東大ブランドをもっと賢く使えないものなのだろうか?