偶然見つけたのだが、加藤忠史という人の『うつ病の脳科学』という本を水戸にいるときに読んでいた。

私自身は、精神療法的な精神医学が専門だし、生物学的精神医学を批判するような立場でものを書くことがあるが、生物学的精神医学そのものを否定する気はない。

ただ、日本中に80もある大学医学部の精神科で、一人として精神療法が専門の主任教授がいないこと(いたら教えてほしい)や、9割くらいが生物学的精神医学の人であることや、あるいは、人によっては画像診断でうつ病が診断できて、患者の話を聞かなくていいというはちゃめちゃな人がいるから、それはないだろうと思うだけの話である。生物学的精神医学が完璧なものになって、本当に患者の話を聞かなくてもいい時代が来るかもしれないが、それまでの間は、もう少し謙虚になってもらわないと、目の前にいる患者さんは救われない。33000人もいる自殺者にとって、精神科医は頼りの綱のひとつなのだから。

あと、昔の精神科医は、生物学的な人でも、一応、精神療法を習っていたから、多少はあいさつにしてもまともにできたが、私より5つほど若い人が東大の精神科の教授になったが、ごく数人の有名な偉い先生方には挨拶をしていたようだが、その人が主催のパーティに行った際に、先輩やよその医者を含めて、ほとんど挨拶らしいことをしていない(それでも、東大教授は偉いと思っている人がいるから、勝手にその人に寄っていく人はたくさんいるが)のにも驚いた。生物学的精神医学の若い医者というのはみんなあんなのだろうか?こういう人がおそらくあと20年以上、東大精神科の教授の座に居座る。この間、どんな優秀な医者が出ても、主任教授になれないのである。

で、加藤さんは、私の顔を知らないのに、きさくにあいさつをするような方である。業績も十分なのに、加藤さんが教授にならず、その人が教授になった。その人の研究療育がトレンディだったということらしい(このあたりについては噂話なので、実際にこの目でみた挨拶をちゃんとしない人ということとは別にして聞いてほしいが)

で、加藤さんのほうは、それだけでも、人間的に信頼できるが、脳科学の人にしては珍しく、いろいろな理論をフェアに扱っている。この手の本は、表向きは脳科学と言いながら、自説の紹介が主であることが多いのだが、理論の変遷も含めてきわめてためになった。いい本だが、ちょっとハイレベルなので、いっぱんの人にどれだけ受け入れられるかはわからない。私にとっては、非常に頭の整理になった。

また、脳科学と認知科学が混同されていないし、脳科学の現在での限界もわきまえた本である点も評価したい。

でも、よくよく考えると脳科学とは恐ろしい。たとえば、児童虐待を受けた際に減るホルモンや脳の成長に必要なタンパク質、うつ病に関連しそうなタンパク質、あるいは、そのせいで起こるDNAのメチル化などが同定される可能性があるという。それを補正できれば、虐待によって生じる精神障害も治せるかもしれないというのだ。

日常の嫌なことで起こる脳の変化を早めに補正できれば、深刻な心の病は起きにくいだろう。その嫌なことを聞くのが精神科医の仕事として残るのかと思うと、同じ嫌なことを聞いても、受け取り方が違うし、起こる脳の反応も違う。だから、そこで生じる変化を反映する物質を測定したほうが、正確な投薬ができることも十分あり得る。

この本を読んでいると、理論が乱暴でないし、今はまだその途上だということが正直に語られているから、とても説得力がある(こんなことではいけないのかもしれないが)。もっとお金を出せ(研究にということだが)というのも、牽強付会な印象を受けず、きわめてフェアである。思い込みで、事業仕分けとかいってテレビで、あっさりと研究費をカットする、研究のことが何もわかっていないようにしか見えない、元タレントのおばさんより、はるかに私には正しく聞こえる。

こういう人が東大の教授になってくれたほうが、はるかに教育的だったように思えたのが正直な感想だ。

実際、教授職というのは、「賞」ではない。その時に、いい研究をしたから、それが世界的に評価されたからといって、その人を教授にするのもいいが、せいぜい任期を3年から5年くらいにしてもらわないと、その研究だって古くなるかもしれないし、それ以上に、指導能力や教育力にも問題が生じる。10年前にはすごい学者だったという人が東大教授にはごろごろいるが、今はというと?が三つくらいつく人が多い。そういう人に指導を受ける学生が気の毒だ。しかも、研究者として優秀な人が、教育がうまいとは限らないし、また医学部の場合は、臨床ができるとはかぎらない。患者さんだって悲惨だ。

アメリカであれば、教授がロートルになってグラントが取ってこれなくなると、それで自分の給料が出ないから辞めざるを得なくなる。また教授の数も多く、教授同士の競争も激しい。日本の競争力のなさの源泉はそこにあるのだろう。

若い人を教授にするのはそれでいいが、任期制にしないで、定年まで教授というシステムのままだと、10年後、20年後が悲惨なことになりやすい。

でも、日本の大学教授は、日本でノーベル賞が出ないのは、受験教育が悪い、高校までの教育が悪いといって、小中学校の教師は10年の任期制にしたのに、自分たちはむしろ定年年齢を後ろに伸ばしている。東大も昔は60歳定年だったのに、いつの間にか65歳になっている。

本来任期制にしないといけないのは、大学の教授のほうだろう(実は、私は2年の任期制の教授である。それだけ信用されていないということだが)。

ということで、加藤さんは今本を読む限り、東大教授にふさわしいと思うが、10年後、20年後のことはわからない(脳科学で脳の老化もかなり抑えることができるらしいが)。

それに、教授になってしまうと、今の礼儀正しさも変わるかもしれない。

人間、肩書きで偉そうになってしまうことも脳科学は解決してくれるのだろうか?